【久米島の過去・現在・未来を紡ぐ】第3章「琉球の古代信仰~火の神信仰とは?」

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島暮らしのおかもってぃ
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人には人の、生きてきた人生があるように

土地には土地の、紡いできた物語があります。

 

人口減少・超少子高齢化など、未曽有の危機に直面する昨今、土地の歴史を見直し、久米島が有してきた価値観、島としての気質を明らかにする必要があるのではないかと思います。

 

久米島は受け入れの気質がある、とよく言われます。

水が豊かで米が豊富だった久米島は、古くから豊かな島。

だからこそ、外から来た人たちを積極的に受け入れてきた歴史があります。

 

ただし、久米島はただの受け入れの島ではありません。

僕なりに解釈した久米島の受容性とは『セジを読み、外部と共存する力』です。

セジを読むとは、潮目を読むこと、天命を読むこと。

大きな流れには逆らわず、外来のリソースと上手く共存する。

これが久米島の生存戦略だと考えています。

 

今回の連載では、歴史を紐解きながら、このような久米島性を明らかにしていきたいと思います。

第3章は「琉球の古代信仰を知る~火の神信仰とは?」

土地の価値観を探るためには、その土地の宗教観を知ることは欠かせません。

 

沖縄に今でも祖先崇拝の伝統行事がたくさんありますが、実はそれらは中世以降の文化。

それより前、武力を持った按司達が琉球を支配する前には、女性をトップとした地域共同体の中で古代信仰に則った祭儀が行われていました。

そんなわけで前回に引き続き、今回も琉球の古代信仰について学んでいきましょう。

琉球の古代信仰~火の神信仰とは?

琉球の古代信仰は、御嶽(うたき)信仰と火の神信仰だと言われています。

前回は御嶽信仰についてまとめたので、今回は火の神信仰について紹介していきたいと思います。

『ヒヌカン』という言葉を聞いたことがある人は多いと思います。

火の神とはヒヌカンのことです。

 

ひょっとしたら台所の神様みたいなイメージを持っている人も多いかもしれませんが、火の神って実はけっこうすごいやつなんですよ。

神々の住まう異界、ニライカナイについて

火の神を知る上で、まず知っておきたいことが『ニライカナイ』という異界です。

『ニライカナイ』は古代琉球の人々が水平線の向こう側にあると信じていた神々が住まう場所。

 

文明が発達していなかった古代の人にとって、海の向こうは行くことが出来ない不思議な場所でした。

そこに神秘的なものを感じ、現世とは異なる世界を想起したのだと思います。

 

ニライカナイは天国とは異なり、人間界に五穀豊穣を、ときに災厄をもたらすと両義的な存在と捉えられていました。

●ニライ・カナイとは?(『沖縄大百科事典下』より)
ニライ・カナイ にるや・かなや、ぎらい・かないなどの呼び方もある。沖縄の祭祀儀礼のなかに見出される世界観のうち、人間の住む世界と対比的に認識された世界。別の世界を意味する。ニライ・カナイという世界が、海のかなた、もしくは地の底にあって、そこから人間の世界、村落に神々が訪れてきて、様々な豊穣、幸などをもたらしてくれるという神観念、超自然館と結びついた他界観である。
(略)
ニライ・カナイに対する民族社会の人々のイメージは、たんに理想郷・幸福の根源として捉えているのではなく、ときに悪しきもの、災いなどをもたらすものの住む世界の意味もあり、両義的なものとされている。

このニライカナイの主神のことを『にらいの大主』と言います。

この主は時を見定め現世に降り立つと考えられていました。

この神を『かないの君真物(きんまむん)』と呼びます。

神女を媒介にして、重要なお告げを残していったそうです。

家族の守護神であった火の神

火の神はかまどに見立てた3つの石をよりましとして祀られます。

字比嘉の神屋にある御三つもの

御嶽の神様が集落の神であったのに対し、火の神は家々の神様。

家庭の主婦が祭事を担ってきたといいます。

●火の神は家々の神(仲原善忠『太陽崇拝と火の神』より)
御嶽神が部落共同体の神と崇められ、その祭りも共同体によって行われるのに対し、火の神は家々の神で司祭者は一家の主婦であった。

一家の主婦は火の神を通じて、家族の健康と長寿、繁栄と成功を願い、また、ときにニライカナイの様々な神様との交信を行ったといいます。

このように、

  • 一家の守護神
  • ニライカナイの神々への取次ぎ

として火の神は活躍していました。

しかし、琉球の古代信仰の衰えとともにこのような風習は廃れてしまい、明治時代以降は集落の神女、「ノロ」の家に祀られるだけになってしまったようです。

統治に利用される火の神

このように、元々は一家の守護神として機能していた火の神ですが、按司が到来してから統治にも利用されるようになり、火の神は政治的な意味合いを帯びていきます。

足立義弘は、

  • 一家の守護神である火の神=民俗火の神
  • 統治に利用された火の神=政治火の神

このように区別しました。

●火の神の二分類(足立義弘『琉球王府の中央集権体制と火神信仰』より)
火の神は一般家庭の台所で祀られている伝統的な火の神と、その過程の台所に基礎を置いてはいるが琉球王府の支配体制に組み込まれ、政治機構の一装置として機能するようになった火の神を区別しておきたい。前者を「民俗火の神」、後者を「政治火の神」と呼んでおく。

政治的火の神の役割は、共同体のリーダーの健康と繁栄祈願。

琉球王朝の神女組織のトップ、聞得大君(きこえおおぎみ)は自身の能力を用いて、国王の言葉に神の力が宿るように祈祷します。

●聞得大君の神託の訳(足立義弘『琉球王府の中央集権体制と火神信仰』より)
国王のお言葉を、君々は使いとなって、依代である絹傘に煽らせて、優れた神女を使いに立てて、火の神が乗り移り、火の神の守護により、国を増し加えて。

このように、元々は家族の守護神だった火の神は、共同体のリーダーのために利用されるようになっていきました。

 

ただそうなってくると、御嶽の役割と被ってくるんですよね。

御嶽の神=集落の守護神

火の神=一家の守護神

というすみわけが成り立っていたのですが、火の神が共同体の統治に利用されるようになると、どっちも集落の守護神として機能するようになるわけです。

この辺りをどのように区別していたのかは僕もよく分かっていません。

ちなみに、久米島に今でも残っている火の神の祠はほぼすべて「政治火の神」に分類されます。

火の神の正体は?

火の神信仰の元は御嶽信仰と同じく、アニミズム信仰だと考えられます。

●火の神の起源(仲原善忠全集第三巻『太陽崇拝と火の神』より)
水と火は、原始社会でも生活上欠くべからざるもので、しかも火は勢いあまれば、家を焼き災害を及ぼす危険な性質も持っている。古代人が恐れ敬い、なおざりに扱わず、ついに神と仰ぐに至った、と見える。

火って怖いじゃないですか。

その怖さが火への信仰につながっていったんですね。

まあハウルの動く城に出てきたカルシファーみたいな感じです。

しかし、せいぜいカルシファーくらいの威力しか持っていなかった火の神様が、ニライカナイへの神々へのお通しをしたり、国王に絶大な力をもたらしたりするんです。

なんでこんなことが出来るのでしょうか?

 

それは、火と太陽の類似性から火の神と太陽崇拝が結びつき、火の神がニライカナイの大主の化身であると認識されるようになったからだと言われています。

太陽崇拝とは?

太陽崇拝は、エジプトでもアジアの各地でも全世界に見られる信仰形態。

昔の人は太陽の偉大性から、そこに神秘的なものを見出したのでしょう。

●民衆の太陽信仰(知名定寛『沖縄の太陽信仰と王権』より)
農耕生産物の豊穣といった共同体社会の安寧や繁栄の祈願を基本とする極めて素朴な内容のものであった。つまり、太陽とその光があらゆるも生命の根源であるとみなされ、これに共同体社会の繁栄を祈願するというのが民衆の太陽信仰だったのである。

沖縄においても、日の出の壮観の背後に神秘性を認め、それが次第に神格化していったと考えられます。

●太陽に対する考え方(仲原善忠『太陽信仰と火の神』より)
テルカハ(太陽を擬人化した呼び方)は意志を有し、万能であると考えられた。人々はテルカハをたたえ、尊び、いのり、その加護を求めた。テルカハは、配下の神々に命じ、天降りして王と人民を守らせ、彼みずからも人間の生命を守り、作物の成長を助ける。

太陽が昇るのは水平線のかなた。

これが、琉球の人々が有してきた海の向こうの他界概念、ニライカナイと結びつき、ニライカナイの大主が太陽であると考えられるようになっていきました。

●火の神はニライカナイの大主の分身(伊波普猷『火の神考』より)
火の神が、神代史にいわゆる御年の神に相当する「にらい大ぬし」の分身ともいうべきもので「にらい・かない」から渡来して聞得大君御殿・三殿及び祝女殿内に鎮座し・・・(以下略)

●ニライカナイの大主は太陽(仲原善忠『太陽信仰と火の神』より
ニライカナイの大主とは何か、おもろを通じてみれば、東の大主と同じく、太陽を擬人化したものに他ならない。

琉球では偉大な人物、地方の支配者の呼称に、太陽を意味する『テダ』を付けました。

それは、太陽がニライカナイの大主、全神々のトップの神様だからです。

『テダ』と称された支配者は地上最高の権力者ということですね。

久米島の按司、がさし若ちゃらも『若テダ』なんて呼ばれて称えられています。

 

このようにその偉大さから太陽が神格化され、沖縄の場合、それがニライカナイの最高神であると考えられるようになりました。

太陽崇拝と火の神のカップリング

火と太陽って似てますよね。

少なくとも属性は・・・

そんな火と太陽の類似性から、太陽崇拝と火の神信仰が結びついていったと考えられます。

●火と太陽の類似性(仲原善忠全集第三巻『太陽崇拝と火の神』より)
眼前に赤々と燃えているカマドの火、これをも、あの水平線上に萌え出る火の塊ー太陽と1つにして考えたことも不思議ではないと言えるのではあるまいか。

これが火の神がニライカナイの大主の分身であると言われるようになった経緯です。

改めてまとめると、

太陽を神格化した太陽崇拝が始まり、海の向こうに沈む太陽がニライカナイの概念と結びつきます。

そして、太陽の偉大性から、太陽自体がニライカナイの大主であるように考えられるようになりました。

また、太陽と火の類似性より、火の神は太陽だと考えられるようになり、太陽=ニライカナイの大主の分身が火の神と見なされるようになります。

そんな風にして、ニライカナイへのお通し役としての火の神信仰は生まれていきました。

 

「火の神」という言葉自体はなんとなく聞いたことがあったかもしれません。

しかし、けっこう偉大なやつなんだということが分かっていただけましたでしょうか?

みなさん、我修院達也が声優をしているからと言って、カルシファーをバカにしたらダメですよ。

それは違うか・・・

まとめ

以上、琉球の古代信仰~火の神信仰とは?をお届けしました。

沖縄に来ると、いろんな形態の信仰があり、それぞれがいろんな役割があり、でも部分的に重なっていたりして、ものすごいこんがらがっていました。

そんな困惑がなくなるように、かなりすっきりまとまっていると自負しています。

中々ハードな回だったと思いますが、最後まで読んでいただきありがとうございました。

次回は『琉球の古代信仰~祭事を司った女性たち』をお届けします。

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