【久米島の過去・現在・未来を紡ぐ】第2章「琉球の古代信仰~御嶽信仰とは?」

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島暮らしのおかもってぃ
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人には人の、生きてきた人生があるように

土地には土地の、紡いできた物語があります。

 

人口減少・超少子高齢化など、未曽有の危機に直面する昨今、土地の歴史を見直し、久米島が有してきた価値観、島としての気質を明らかにする必要があるのではないかと思います。

 

久米島は受け入れの気質がある、とよく言われます。

水が豊かで米が豊富だった久米島は、古くから豊かな島。

だからこそ、外から来た人たちを積極的に受け入れてきた歴史があります。

 

ただし、久米島はただの受け入れの島ではありません。

僕なりに解釈した久米島の受容性とは『セジを読み、外部と共存する力』です。

セジを読むとは、潮目を読むこと、天命を読むこと。

大きな流れには逆らわず、外来のリソースと上手く共存する。

これが久米島の生存戦略だと考えています。

 

今回の連載では、歴史を紐解きながら、このような久米島性を明らかにしていきたいと思います。

第2章は「琉球の古代信仰~御嶽信仰とは?」

土地の価値観を探るためには、その土地の宗教観を知ることは欠かせません。

 

沖縄に今でも祖先崇拝の伝統行事がたくさんありますが、実はそれらは中世以降の文化

それより前、武力を持った按司達が琉球を支配する前には、女性をトップとした地域共同体の中で古代信仰に則った祭儀が行われていました

そんなわけで今回は、琉球の古代信仰について学んでいきましょう。

琉球の古代信仰を知る~御嶽信仰とは?

琉球の古代信仰は、御嶽(うたき)信仰と火の神信仰だと言われています。

今回は御嶽信仰について紹介していきたいと思います。

 

みなさんは御嶽(うたき)という単語を聞いたことがあるでしょうか?

御嶽はとても神聖なスポット。

沖縄には今でもたくさんの御嶽が残っています。

斎場(セーファー)御嶽とかは特に有名ですよね。

そもそも御嶽って何?

御嶽は『神います杜』という意味で、簡単に言うと、『神女が神様と交流するところ』です。

狩猟採集の時代は個人や一家族単位で暮らしていた人々も、人口が増えてきて農耕をするようになると寄り集まって集落を形成するようになります。

そしてその集落ごとに御嶽を選定し、そこに集落の守護神を祀りました。

その集落の近くにある森や特定の木々が茂っているところを御嶽としていたようです。

●御嶽の場所(仲原善忠全集第三巻『太陽崇拝と火の神』より)
御嶽は、神います杜というほどの意で、高い山もあれば平地の杜もあり、中には水田の中の叢林もある。高く秀でたクバの木、アザカ、シキヨが生い茂っていることが、御嶽の条件であった。

少し高い木などを目印に御嶽の神様が降臨すると考えていたみたいです。

このように、人工的に作った社などではなく自然物を利用しているのが、御嶽の特徴の一つ。

神々が降臨する御嶽の頂上・もしくは中央は『いべ』と呼ばれ、『いべ』と現世の境界には石垣が置かれることがありました。

久米島、字西銘にある上江洲御嶽

御嶽は別名「こしあて」といいます。

腰当ては本来、座るときに安定を保つために腰に当てるものですが、部落の後方にある御嶽も集落の安定を保つために必要なもの。

そこから派生して「こしあて」と呼ばれるようになったようです。

御嶽に祀られた神とは?

理解不能で強力な自然に対して、畏敬の念と神秘性を感じ、自然界のあらゆるものを神として崇め奉る風習は日本全土に見受けられます。

このようなアニミズムの風習は、沖縄においても同様に発展していき、御嶽信仰に結びついていったと考えられます。

そのため、御嶽で祀られる神様にはいろんな種類があります。

●万物に神が宿る(仲原善忠全集第三巻「久米島史話」より)
昔の人はそれでどんな神を信じていたかと言うに、天の神・海の神・森の神・泉の神・井戸の神・火の神・大きな石の神等いろいろの神があり、また普通の人とちがった人、例えば按司なども死んで神霊になると考えた。

御嶽によっても祀られている神は様々で統一的な解釈はおそらく不可能・・・

とりあえず、いろんな文献を読み漁った結果、御嶽の神様をまとめると以下のようになります。

  1. ニライカナイからの来訪神を祀ったもの
  2. 血縁関係のある祖先を神として祀ったもの
  3. 血縁関係はないが、観念的なつながりを持つ祖先神を祀ったもの
  4. 偉大な人物を神として祀ったもの
  5. その場にある樹や岩などを祀ったもの
※注
①について
ニライカナイは古代琉球の人々が信じてきた海の向こうにある他界。
そこには神々が住まい、ときに人間界に降りてきて、五穀豊穣を、ときに災厄をもたらすと考えられてきました。

②、④について
故人を神格化して崇める風習は日本全土にありますが、ここ沖縄でもあったようです。
ただし、『祖霊』ではありません。あくまで神様、『祖神』。
祖霊の概念が入ってきたのは、仏教や儒教が伝来した意向だと思われます。

③について
ちょっと分かりにくいかもしれませんが、氏神様みたいなもの。
西洋風に言えば、アダムとイブみたいな遠い祖先のことです。

ただ、集落の守護神としての役割を果たしていたことは共通しているようです。

●神々が降臨する場(仲原善忠全集「セヂ(霊力)の信仰について」)より
留意しておきたいことは、御嶽の元々の性格は、神々との交信の『場』であること。
杜嶽が沖縄では信仰の対象ではなく場所であったことは「伊平屋のあむがなし」という見後の年末年始の行事にも見られる。

そのため、何かが祀られているというよりは、そこに神々が降臨すると考えるのが妥当なようですね。

御嶽によっては、何かが神として祭られているパターンもあるようですが、それは比較的後世に作られた可能性があります。

いずれにせよ、集落や共同体の繁栄を願って守護神と交信する場所、それが御嶽の役割でした。

祭事を担う神女たち

御嶽を中心とした祭事を担ってきたのは、その集落の草分けとなった一族の女性たちでした。

彼らは根女や根神と呼ばれ、儀式のときは加持祈祷を行います。

 

沖縄では女性はみな超自然的な力を持つと信じられてきたため、神女を選ぶ際の基準は血筋のみ

特別な能力が必要だったわけではないようです。

ただし、選ばれた女性は山に籠って断食するなど、厳しい修行をして、そのような能力を得る努力をしたと言います。

 

按司が到来する前の10数世紀ごろまで、集落を取り仕切っていたのは彼女たち。

彼女らはかつての琉球が女性性社会であったことの象徴でした。

そこに力を持った按司が武力で支配を始め、琉球の世界は女性性から男性性の社会へと移行していきます。

 

最終的にはこれらの古代信仰は衰退してしまい、武力が優勢の完全なる男性性社会に突入していくことになるのです。

古代信仰が衰退していった背景は、また後程書いていきたいと思います。

御嶽信仰まとめ

沖縄の古代信仰、御嶽信仰についてまとめていきました。

御嶽信仰の特徴を改めてまとめると以下のようになります。

  • アニミズム信仰が派生したもの
  • 共同体の守護神にあたる神様への信仰
  • 御嶽の場所は森や小高い木々が生えている場所
  • 神様の種類はいろいろ
  • その集落の草分けとなった女性が祭事を担当

沖縄というと祖先行事が盛んですが、実はそれらは近年の風習。

土地に根付いた島の価値観を知るには、古くより人々が信じてきた古代信仰を学ぶことが重要なのではないかと思っています。

次回はもう一つの古代信仰、火の神信仰について書いていきたいと思います。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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