【久米島の過去・現在・未来を紡ぐ】第5章「久米島の最高神女、君南風」

The following two tabs change content below.
島暮らしのおかもってぃ
地域おこし協力隊。東京生まれ東京育ちのシティボーイ。マニアック過ぎて役に立たない久米島情報を発信中!
プロフィール
Facebook←お気軽にメッセージください!

人には人の、生きてきた人生があるように

土地には土地の、紡いできた物語があります。

 

人口減少・超少子高齢化など、未曽有の危機に直面する昨今、土地の歴史を見直し、久米島が有してきた価値観、島としての気質を明らかにする必要があるのではないかと思います。

 

久米島は受け入れの気質がある、とよく言われます。

水が豊かで米が豊富だった久米島は、古くから豊かな島。

だからこそ、外から来た人たちを積極的に受け入れてきた歴史があります。

 

ただし、久米島はただの受け入れの島ではありません。

僕なりに解釈した久米島の受容性とは『セジを読み、外部と共存する力』です。

セジを読むとは、潮目を読むこと、天命を読むこと。

大きな流れには逆らわず、外来のリソースと上手く共存する。

これが久米島の生存戦略だと考えています。

 

今回の連載では、歴史を紐解きながら、このような久米島性を明らかにしていきたいと思います。

第5章は「久米島の最高神女、君南風」

君南風は久米島のセジを読む力を司って来た神女。

「ちんべーちんべー」と名前は聞くと思いますが、じゃあ具体的にどんな人なの???

そんな疑問に答えて行きたいと思います。

久米島の最高神女、君南風(ちんべー)

君南風の役割

君南風の特徴を要約すると

  • 琉球王府の神女組織の中でけっこうエライ人
  • 久米島の神女組織のトップ
  • 久米島の重要な祭事を司る神女

です。以降詳しく見ていきます。

琉球を統一した尚氏は、中央集権的支配体制を作っていき、その中で各地の神女をまとめて組織化しようとします。

その後の第二尚氏時代の三代目、尚真王の時代、1500年ごろにほぼその形が完成したといわれます。

君南風は、そんな神女組織の中でもけっこうエライ人。

前回までも神女組織は何度か紹介していますが、今回はより詳しく見ていきたいと思います。

以下、神女組織図です。

琉球王府の神女組織(沖縄の宗教と民俗『琉球王府の中央集権体制と火神信仰』より)

一番トップは聞得大君

聞得大君の初代は、尚円王の王女、月清(1470年に即位)。

それ以降も国王の女、妃、母が代々聞得大君の地位を継承していきます。

そして、その下に「大阿母志良礼(おおあむしられ)」と呼ばれる三女神官が配置され、さらにその下に、「大阿母(おおあむ)」や「掟あむ」「佐事あむ」と呼ばれる高級神女が配置されました。
(※大阿母志良礼以下の高級神女に統一された名前は無さそう・・・上江洲均先生によれば、久米島の君南風は「真壁大あむしられ」の下の「あむしられ」に分類されるそうです。)

この大阿母以上の神女たちを『三十三君』と呼びます。

三十三は『神女が三十三人いる』ということではなく、『たくさんいる』という意味です。

AKB48みたいな感じですね。

 

久米島の君南風もこの三十三君の1人。

そして、久米島内の各地の神女は君南風の下に配置されました。

久米島には他にも、せの君、よよせ君、さすかさ、などなど、様々な神女が存在していましたが、首里王府の政策により、君南風を頂点に据えた神女組織に組み込まれてしまった、もしくは消えて行ってしまいます。

君南風の社殿は仲地にある『君南風殿内(ちんべーどぅんち)』

当時は『仲地綾庭』と呼んでいたそうです。

字仲地にある君南風殿内

ここには、火の神様のよりまし、三つ石が三セット、つまり合計9つの石が置かれています。

君南風殿内の中。壁の向こうに火の神様が祀られています。

君南風は久米島の重要な祭祀を司る神女。

現在も様々な行事を行っています。

その一部をご紹介します。

六月ウマチー(稲穂祭)

水が豊かな久米島では、古くから稲作が盛んでした。

六月ウマチーはそんな稲の豊作を願う行事です。

旧暦の6月25日に毎年行われ、古くは宇江城城跡と具志川城跡を交互に参詣したらしいです。

現在は宇江城城跡には参詣していないとのこと。

かつては、久米島中から役人やおもろうたいなどが集まり、総勢80人にも及ぶ大行列をなして、城に登っていたそうです。

雨乞いの儀式

久米島では今でも、日照りが続くと雨乞いの儀式を行います。

町長も参列します。

祈願する場所は久米島空港の近くの海岸。

最近だと3年前の2014年秋頃、雨が全く降らず、一部断水が続いたときに雨乞いの儀式が行われたそうです。

びっくりすることに、儀式の直後に本当に雨が降ったらしいですね

天候も司るとは、君南風恐るべし・・・

オヤケアカハチの乱で武勲を得る

君南風がメジャーになったのは、1500年に八重山で起きた反乱、オヤケ・アカハチの乱で大活躍したためでした。

琉球全土統一をもくろむ首里王府ですが、そこに反抗したのが八重山で栄えた按司、オヤケ・アカハチ。

八重山を征伐するべく首里王府は軍を遣わします。

その際に首里の神から「八重山の神がなびけば、人間は自然と降参するから君南風を連れて行け」とお告げを授かったらしく、君南風は八重山討伐に参加することになります。

そして、君南風 VS 八重山のノロたちで呪術合戦を行うことになるのです。

●呪術対決勝つのはどっち?(仲原善忠全集『久米島史話』より)
八重山郡は海岸に陣を敷いていたが、「手に手に木の枝を持ったノロが数十人、陣頭に立って天に号し地に叫び一生懸命に首里軍を呪った。こっちにも君南風が部下の神女を率いて盛んにこれをやった。とうとう君南風の勢いが強く、向こうの神女共を抑えつけた」という。

そして結果的に、八重山の神々が先に君南風と和睦したため、八重山軍は士気を失い、降参したということです。

当時本当にこんなことが行われていたのかはよく分かりません。

仲原善忠先生も、『今から考えると馬鹿々々しいことだが』とはっきりおっしゃっています、笑

ただ、昔から神女には神の精霊が乗り移るから大変強力だと信じられていたことに違いはないみたいですし、

君南風はこの武勲を讃えられ、首里王府より「金の簪」「ちよのまくび玉」「ひららしや原の田」を送られます。

君南風は何者か?

上江洲均先生の『久米島の民俗文化』を読むと、君南風の正体は

『首里王府の宗教形態を久米島に持ち込むために首里より使わされた神女』

と考えられる可能性が高いようです。

●君南風は琉球王府の手先!?(上江洲均『久米島の民俗文化』より)
君南風は八重山のアカハチの乱以後のオモロに登場するのがほとんどである。ということは第二尚氏それも尚真王の時代、新たに置かれた神女とみることができる。つまり君南風は、首里王府の息のかかった神女であるということである。

どういうことか見ていきましょう。

 

『君南風由来位階且公事』という文書にはこんな記述があるそうです。

●君南風の出自(上江洲均『久米島の民俗文化』より)
昔神代の時代、三姉妹があり、姉は首里の弁の御嶽、二人の妹は久米島へ渡り、それぞれ東岳と西岳を住家としていたが、姉の方は八重山に渡りオモト岳を住居とした。三女は西岳にその後も居住し、君南風となった。

そもそも君南風は久米島の人ではなく、沖縄本島から渡ってきた神女であるという記述があります。

なぜ、沖縄本島以外の久米島と八重山に神女が渡ったのか?

上江洲均先生は首里王府が彼女たちを遣わしたものだとして以下のように記述しています。

●神女を配置した本当の狙い(上江洲均『久米島の民俗文化』より)
三姉妹の首里、久米島、八重山という領有は、王府の神の南下を表しているのではなかろうか。八重山を二女としたのも、そこは久米島よりも広い地域であり、政治的重要性の序列を表しているのではないか。久米島に首里の出先を置くこととによって、先島へ向けての宗教上の布石が敷かれたことになるのである。そう考えれば君南風の討伐軍への参加はごく当然のことであり、容易に理解できる。そうすると、先の三姉妹の話は神話ではなく祭祀支配の史実を物語っているといえるのではないだろうか。

按司の時代に入る前の久米島では、血縁関係でまとまった集落がいくつも形成され、各集落ごとに祭祀を行ってきました。

祭祀を執り行うのは、宗家の家系の女性で神を宿した大きな力を持っていたと考えられます。

 

首里王府が久米島を支配するためには、既存の神女体制を聞得大君をトップとした信仰形態に変えなければなりませんでした。

 

そのために久米島に使わされたのが君南風だったわけです。

八重山に渡った君南風の姉も、八重山地方の信仰形態を変えるために使わされたのだと思います。

 

八重山で起きたオヤケアカハチの乱が起きたころ、久米島も按司たちが支配しており、そこにかつて共同体の祭祀を司っていた神女たちも遣えていました。

しかしその後、久米島の按司も首里王府に征伐され、久米島は首里の管轄下に入ることになります。

そして、久米島にいた神女たちは君南風をトップとした神女組織に組み込まれたか、そのまま消えてしまったのでしょう。

こうして神女組織が入れ替わるとともに、祭祀が王の支配力を高めるために利用されるようになり、政治的な性格を強めていきました。

 

明確な文献は残っていないようですが、これまでの出来事を時系列で並べると以下のようになると考えられます。

  1. 15世紀後半ごろから、久米島を按司が支配し始める
  2. 按司には久米島各地の神女が使える
  3. オヤケアカハチの乱(1500年)に君南風が参加
  4. 久米島の按司が首里王府に征伐される(1510年頃)
  5. 君南風をトップとした神女組織が久米島に作られる

実際のところ④、⑤の順番はどちらが先かはよく分かりませんが、いずれにしても、首里王府は君南風に武勲を立てさせ、上手いこと久米島の信仰形態を覆すことに成功したみたいですね。

島津軍の侵攻

ただ首里王府は、17世紀初めに島津軍に侵入されてしまいます。

そして同時に、琉球の古代信仰は島津軍から否定され、首里王府の王、尚氏自身も古代信仰を否定するようになるのです。

こうして各地の神女組織自体が解体されていきます。

そんな中、何とか残った各地に残った神女たちは、首里王府の統治のために祭祀を行う必要がなくなりました。

王様自体が、古代信仰を否定し始めましたからね。

そこで、かつて祭政一致の集落で行われていた、五穀豊穣、航海の安全など、農耕社会に基づいた祭祀のみが残り、神女による祈祷のもともとの性格を取り戻したのではないかと思います。

そんなわけで、君南風の果たしてきた役割をまとめてみると

  1. 首里王府の手先として久米島の神女組織のトップに君臨
  2. 神女組織の政治的な性格が強まる
  3. 薩摩が侵入してきて琉球の古代信仰が衰え、神女組織が解体されていく
  4. 王のために祈祷する必要がなくなる
  5. 農耕社会に深く根付いた古くからの祭祀だけ残る
  6. 共同体の繁栄のために祭祀を行うという元々の神女の役割を取り戻す

こんな風に遷移していったのではないでしょうか。

 

君南風というと、『久米島』の偉大な神女として崇められますが、元々は性格は首里の手先だったみたいですね。

もちろん、そうじゃないという意見もあるとは思いますが・・・

ただ何にしても、首里王府が古代信仰を否定したことにより、君南風の政治的な役割は失われ、それ以降はかつて集落の神女が行っていたように、共同体の繁栄のために祭祀を執り行う性格のみ残ったのだと思います。

まとめ

以上、久米島の最高神女、君南風についてまとめていきました。

君南風は現在も久米島に存在しており、島内の大切な祭祀を司っています。

しかし跡継ぎがおらず、いつまでこの風習を保てるか分からない状況の様です。

神人の後継ぎがいないことは沖縄全土で深刻な問題ですね。

 

『君南風は久米島の偉大な神女である』

ずっとそんなイメージを持っていました。

それは確かに正しいのですが元々は首里王府の息のかかった神女であるというのは個人的にも面白い発見でしたね。

次回は、なんやかんや使ってきたけど詳しくは解説していなかった「セジ」についてまとめていきたいと思います。

4 件のコメント

  • こんばんは、初めまして

    私は久米島出身の親を持つ者です。

    突然本当に申し訳ありません。ブログも一部しか読んでおらず、大変失礼かと思いますが、こちらにご連絡しました

    全部目は通しておりませんが、図がとてもわかりやすく、丁寧に作られているブログだと思いました

    宇根ノロの末裔について個人的に少し調べています

    もし、何か少しでも知っていることがあればご連絡くださると嬉しいです

    • 杏さん、ご連絡ありがとうございます。
      宇根ノロの末裔ですか・・・
      ちょっと詳しくないので調べてみますね。

      少々お待ちください^ ^

  • 初めまして。いつも楽しく拝見しております。昔から続いている歴史ある久米島君南風と祭祀は貴重な久米島の宝だと思います。今まで500年余り続いてきたので後世に残していって頂きたいです。こちらの記事に、久米島君南風の跡継ぎがいらっしゃらないと書かれておりますが、現在君南風をされている方の次に君南風をされる方がいらっしゃらないということですか?気になるのでどうか教えてください。宜しくお願いします。

    • こんにちは。
      コメントありがとうございます。
      返信が遅くなり申し訳ありません。

      詳しい方に聞いたところ、跡継ぎが完全にいないわけではないようですが、続くかどうか分からない状況らしいです。

      現在の君南風を担っている女性はすでに高齢で80歳。
      後継者は、彼女と血縁関係にある女性から該当者を選ぶそうですが、責任重大は役目であるにも関わらず、役職手当があるわけでもないので指名されても受けてくれるか分からない状況らしいです(そもそも指名する動きがあるのかも分かりません)。
      現在の君南風も前任者から10年ほど引継ぎのためのレクチャーを受けたそうです。

      こういった事情を考えると、後を継ぐのはかなり厳しい状況かもしれません。

  • コメントを残す

    メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

    CAPTCHA