【久米島の過去・現在・未来を紡ぐ】第6章「セジ(霊力)とは何か?」

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島暮らしのおかもってぃ
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人には人の、生きてきた人生があるように

土地には土地の、紡いできた物語があります。

 

人口減少・超少子高齢化など、未曽有の危機に直面する昨今、土地の歴史を見直し、久米島が有してきた価値観、島としての気質を明らかにする必要があるのではないかと思います。

 

久米島は受け入れの気質がある、とよく言われます。

水が豊かで米が豊富だった久米島は、古くから豊かな島。

だからこそ、外から来た人たちを積極的に受け入れてきた歴史があります。

 

ただし、久米島はただの受け入れの島ではありません。

僕なりに解釈した久米島の受容性とは『セジを読み、外部と共存する力』です。

セジを読むとは、潮目を読むこと、天命を読むこと。

大きな流れには逆らわず、外来のリソースと上手く共存する。

これが久米島の生存戦略だと考えています。

 

今回の連載では、歴史を紐解きながら、このような久米島性を明らかにしていきたいと思います。

第6章は「セジ(霊力)とは何か?」

今までなんとなく使ってきた「セジ」という言葉。

久米島が誇る民俗学者、仲原善忠先生いわく、御嶽や火の神、テダ(太陽)など以外に、「セジ」という非人格的な霊力を沖縄の人は信じてきたと言います。

潮目を読むでもなく、天命を読むでもなく、「セジを読む」としたのは善忠先生のこの考え方があったからです。

今回は、そんな「セジ(霊力)」について紹介していきます。

セジ(霊力)とは何か?

セジの特徴は2つ

  • 人間界の外に存在する意志を持たない霊力
  • セジを得た物体・人は超越的な力を有する

以下詳しく見ていきましょう。

セジとは非人格的な霊力

仲原善忠先生によると、おもろそうしの中には『セジ』について謡ったものがたくさんあるということです。
※おもろそうし・・・12世紀~17世紀ごろに作られた当時の生活や政治の様子を謡った歌

このことから、当時の琉球の人々は、御嶽や火の神以外にも『セジ』という概念を信じていたことが分かります。

 

セジとは、人間世界の外に存在するそれ自体は意志を持たない非人格的な霊力のことです。

『セジ』自体の起源は詳しくは分かりませんが、古代の人は偉大なる自然を前に、何か大きな存在、何がしかの秩序を感じていたのだと思います。

その大きな存在や秩序に、『セジ』という名前を付けたのでしょう。

セジが憑くと超人になれる

セジが物に憑くと、そのものに霊能が生まれると考えられていました。

剣や門、港などいろんなものに憑いたみたいですね。

●万物に霊能を生じさせるセジ(仲原善忠全集『セヂ(霊力)信仰について』より)
セヂの付くことによって剣は不思議な力を発揮し、港は波風をなごめて出船入船の不安を除き、(中略)至妙なオモロはセヂの付いた結果と考えられ。優れたオモロ奏者は凡百の按司共に打ち克つ威力を持つと信じていた。
※オモロ・・・おもろそうし

また、セジを受けたものは超人的な霊力を得ると自他ともに信じられてきたようです。

逆に神女になれる条件は、このセジを使えるかどうかにかかっていたといいます。

●神女の条件(平敷令治『沖縄の祖先祭祀』より)
神女の神女たるゆえんは、セジが備わっているか、神に懇願してこのセジを招くことが出来る資質にあった。

地方の神女たちは、山籠もりをする、断食をするなど、様々な修行を経て、セジを司る力を獲得しました。

一方、琉球王府の神女組織、聞得大君は斎場御嶽でセジを受け、霊力を獲得します。

そして、王にセジを宿らせるために様々な祈祷を行いました。

国王に憑かせるセジにもいろいろな種類があり

  • 武力を増すイクサセジ
  • 支配力を示す世ガケセジ・世襲セジ
  • 富と幸福を象徴する果報セジ
  • 呪術魔力を発揮するアカラセジ
  • 支配の永久性を保証するニルヤセジ・カナヤセジ

などその時々に合わせて、いろいろなセジが国王に憑くようにお祈りしたようです。

様々な信仰と結びつくセジ

集落の守護神を祀っている場所が御嶽ですが、そもそも『神』という考え方が生まれたのは近世。

御嶽の元々の性格は、何がしかの霊力が宿る場所だったといいます。

その霊所で神女は修行をし、セジを授かります。

年が経つと、その場所がセジのある場所と考えられるようになり、以降神女がセジを降ろす場所、御嶽として作用するようになりました。

 

そして、セジを降ろす場所に過ぎなかった森自体が次第に信仰の対象となり、神という概念が生まれてからはその場所に、神が宿ると考えるようになったのでしょう。

また、セジの概念はニライカナイの概念や火の神とも結びついていきます。

●ニライカナイの神とセジ(平敷令治『沖縄の祖先祭祀』より)
近世の女神官にとっては神々のいます天上世界(オボツカグラ)と海彼の世界(ニライカナイ)はセジの満ち満ちた他界であり、御嶽のイベはこれらの了解にセジを願う最も崇高な聖地とされた。聞得大君は、斎場御嶽での御新下りでセジをうけ、神名を授けられた。

近世になってから、神々の住むニライカナイ(もしくはオボツカグラ)という世界にはセジが満ちており、そのセジを現世に降ろすことが神女の仕事だと認識されるようになったようです。

また、火の神はニライカナイの神々へのお通し役ですが、その本質は『セジ』を媒介する機能。

聞得大君は、斎場御嶽の火の神のよりましの前で、ニライカナイのセジが憑くようにのだて事を述べました。

ニルヤセジ、
カナヤセジ、
マキヨニアガテ、
クダニアガテ、
サシボニ、
マツヂニ、
カカヤイ、
ヲソヤイ、・・・

(訳)
ニライカナイのセジよ。集落に上がって、神女の頭の頂に襲いかかり・・・
(参照:平敷令治『沖縄の祖先祭祀』)

時系列は正直不確かなのですが、このように『セジ』の概念は様々な信仰と結びついていったといいます。

セジを読む、小さな島の生存戦略

人間界の外部に存在する、非人格的なセジ。

このセジが憑いたものが力を得て、島を支配すると考えられてきました。

逆にセジを失ったときが権力の終焉。

その為政者による支配は終わります。

 

受け入れの島、久米島が元来有してきたものがこの『セジを読む力』だと思います。

久米島は、セジを読み、どこに天命があるかを察し、その流れに逆らわないように生きてきました。

個人の名誉だけを考えたら、戦国の武士のように天命に逆らってでも自身の誇りを貫き通し玉砕することも美であったと思います。

しかし、島という共同体の長期的な繁栄を考えた場合、散ってしまったら島の歴史が潰えてしまいます。

長い視点で島のことを考えたら、セジに逆らわない生き方が最も合理的だったのでしょう。

 

これが小さな島の生存戦略。

 

時勢に逆らわずしたたかに生きること。

 

その土台は、こういったセジ信仰、前に紹介した古代信仰などで形作られていったのでした。

まとめ

セジとは、万物に力を与える霊力。

現代の言葉で言うと、ツキとか運とか神とかSomething Greatとかガイアとかにあたるのかもしれません。

 

流れに逆らわないって言うと、受け身な生き方のように思えるかもしれませんが、重要なことは目的は何かということだと思います。

久米島にとって一番大切な事は、島という共同体を長期的に保全すること

その目的を達成するための生存戦略が『セジを読み、外部と共存すること』だったのだと思います。

 

沖縄の信仰について、ようやくまとめ終わったので、これからは『セジを読み。外部と共存する力』を体現してきた人物、エピソードをたくさん紹介していきます。

最後まで読んでいただきありがとうございました!

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