久米島・消えた集落『旧阿嘉集落』

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島暮らしのおかもってぃ
地域おこし協力隊。東京生まれ東京育ちのシティボーイ。マニアック過ぎて役に立たない久米島情報を発信中!
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こんにちは!

島暮らしのおかもってぃです。

 

今回は観光ガイドには絶対に載っていない、久米島の秘境中の秘境

『旧阿嘉集落』を紹介いたします。

 

数ある探検スポットの中でも最も印象深かったところ。

ある人いわく『トトロの森』

またある人いわく『ハブのホットスポット』・・・笑

何はともあれ大自然の凄さを間近に感じることの出来るスポットです。

 

『旧阿嘉集落』とは?

阿嘉集落の成立

久米島には、現在も『阿嘉』という地区が存在します。

旧阿嘉集落は現在の阿嘉集落に住んでいた方々がもともと住んでいた場所です。

 

阿嘉集落の成立年は手元にデータがなく分からないのですが(知っている人教えて>_<)

1713年に編集された仲里間切旧記に阿嘉集落の発祥について記述があるそうです。

●阿嘉集落の草分けとなった人(仲里村誌より)

昔仲里城下に罷居候人罷下り、阿嘉の比屋所に立始、あかのおひやと名付申候由

『比屋』というのはその地区のリーダーのことです。

主に、その部落の創始者が『比屋』を務めました。

『おひや』や『おふや』、『大ひや』といった呼び方もあります。

『あかのおひや』で阿嘉地区のリーダーということです。

 

仲里城(現在の宇江城城)が建設されたのが1500年前後、そこから仲里間切までの期間に部落が成立しているので、大体1500年~1700年頃に出来た部落みたいですね。

 

位置は比屋定バンタの崖の下方にあたります。

もともと半農半漁を営んでいた人がより海に近い立地を求めて引っ越したのではないかと言われています。

現在も残る切り出された岩場、漁船の入港に使用していたと考えられる。

阿嘉集落が『旧阿嘉集落』となったわけ

旧阿嘉集落に住んでいた人々が集落を移転させた理由は『台風の被害』だと言われています。

行ってみると分かりますが、旧阿嘉集落は海に隣接している部落、海から部落まで遮るものは一切ありません。

台風の被害も尋常じゃなかったことが予想されます。

旧阿嘉集落の場所、海の目の前

明治38年、台風の被害を避けるために崖の上に集落の半分が引っ越しました。

●台風被害による移転(仲里村誌より)

阿嘉は明治39年の台風があった頃までは、前記のように崖下の一部落であったが、台風に伴って起こった津波のために、部落の約半が失われてしまったので、被災者の二十余戸は後方崖上の大地に移転し・・・

 

さらに約60年後の昭和38年、残っていた人々も塩害やがけ崩れを心配して崖の上に引っ越してしまいました。

そのためは現在は完全に無人になっています。

 

しかし、その集落跡地には今でも当時の石垣が残っていて、それを楽しむことが出来ます。

旧阿嘉集落紹介

海岸線を歩いていくと森の中に通じている道があることに気付きます。

ここが集落の入り口です。

旧阿嘉集落入り口

木々が鬱蒼としていて足を踏み入れるのにかなり勇気が必要です(定期的に草を刈ってくれている人がおり、時期によってはもっと歩きやすい)。

ハブに遭遇する危険もあるのでサンダルやスニーカーで行くことはお勧めできません。

僕はいつも長靴を履いていき、海岸で拾った長めの棒で草むらをチェックしながら進んでいます。

 

ちなみにソフトバンクとドコモは完全に圏外になります。

auはわずかですが電波が入ることもあるようです。

 

いずれにしても通信環境は無いに等しいので何かが起きたときに連絡する手段はありません。

 

1歩歩くごとに草むらの中から

『がさがさっ!』と尋常じゃない大きな音がします。

もっぱらカニだとは思いますが、ハブだったらどうしようとドキドキです。

 

緑のトンネルを進んでいくと、当時の石垣を見ることが出来ます。

その上には樹木がしっかりと根を張っている。

まだ人が離れてから50年くらいしか経っていないのに、その集落は完全に森に飲み込まれています。

石垣を飲み込む樹木

すっかり崩れ去った石垣

家の壁がわずかに残っているところ

個人的に一番好きな『樹』

岩の上から長く下した根が大迫力です。

久米島の家々の石垣は、海岸のサンゴ性の石灰岩を切り出して作られていました。

今でも、石切り場として使われていた場所が残っています。

こちらの集落の石垣も見てみると同様にサンゴ性の石灰岩であることが分かります。

豚舎と呼ばれる豚のエサ場と思しきもの。

人間の排せつ物などを豚にあげていたようです。

石垣以外、当時の家の形はほとんど残っていませんが、上記のように一部、残っているものもあります。

こちらは比較的新しい建物。集落の奥の方にあります。

恐らく、根所、集落の草分けとなった人が住んでいた土地で、そこに作った火の神の祠だと思われます。

鍵がかかっていて中は見れないのですが、おそらく火の神を祀った『お三つ物』があり、そのために現在でも残されているのではないかと考えられます。

(『火の神』について詳しく知りたい方はコチラから)

人が通らなくなった道はあっという間に植物に覆われてしまいます。

旧阿嘉集落の魅力とは?

『久米島でおすすめの場所の観光名所は?』と聞かれたら、

口では『ハテの浜』と言いますが、

心の中ではいつも『旧阿嘉集落』と言っています

 

観光名所ではないし、安全が保証できる場所でもないし、探検が好きな相当マニアックな方でないと楽しめないのでいつも『心の中』に留めているのですが・・・

 

僕がこの場所が好きな理由は

自然の脅威をまざまざと体験させられるからです。

 

文明に守られた僕らは、普段、自然の力を感じる機会は滅多にありません。

また、科学技術に対する過度の信頼は傲りを生じ、さも人間が自然をコントロールしているように感じてしまいます。

 

でもこの集落の力学は『自然>人間』なんですよ。

 

この土地はもう『人のもの』ではありません。

元のあるべき姿を取り戻した彼らは、非常に生き生きと、力強く存在しています。

あまりの力強さに恐怖すら感じます。

突然やってきた異邦者に対し、木々全体が警戒しているような気がして、思わず息をひそめてしまいます。

 

昔の人々はこんな力強い自然と向き合って暮らしていたんだと思うと、

彼らが畏怖の念を持って、時には神として、自然を崇めていた理由がよく分かる気がするんですね。

 

自然の偉大さを目の前にすると、僕はいつも自分という存在のちっぽけさを感じます。

自分の存在が取るに足らない些細なものに思えるときに、

人生に対する不安、生きることの怖さなど、普段考えている悩みがどうでも良くなってくるんです。

 

『もっと生きよう!』って思えてくるんです。

 

自分の存在をちっぽけに感じれば感じるほど、僕は自分の生命を実感するんですね。

 

ここに来るといつもそのことを確認させられます。

 

圧倒的な自然を前に、感じ方は人それぞれだと思います。

ぜひそれを味わってみてください。

旧阿嘉集落に行きたい人は?

携帯の電波も通じないので、一人では絶対行かないようにしてください

何かあったときにどうしようもなくなります。

 

一番のおすすめはツアーに参加すること。

この場所に行ける唯一のツアーが久米島馬牧場『森に消えた集落探検』です。

ご興味のある方はぜひトライしてみてください。

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