自然の壮大さに触れるとき、僕は命を実感する

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自分自身がとてもちっぽけな存在に思えるとき、

自分の人生が取るに足らない些細なものに思えてしまうとき、

いたたまれない気持ちになる。

 

この世に生を受けた理由を見つけたくて、

なんで生まれて来たのか知りたくて、

でもそんなことは分かるはずもなくて、

どうしようも出来ない情けなさに襲われる。

 

そんなときは、海の轟を聞く。

久米島の自然

山の美しさに触れる。

久米島の自然

風の声に耳を澄ませる。

久米島の自然

何万年、何億年と存在してきた自然の偉大さに触れたときに、心の底から実感するのだ。

ああ、自分はなんてちっぽけな存在なんだと。

何一つ特別なものなどない。

この世に生を受けた意味なんて何もない。

大いなる自然の前には、自分は無力な小さな存在なんだと。

 

でもそういうものなんだ。

人間なんてみんな取るに足らない些細な存在だ。

 

 

僕らが何をやろうとやらなかろうと、

僕の小さな命が一つ途絶えたとしても、

そこにはいつも、山が、海が、大地が存在し続ける。

 

それ以上でもそれ以下でもない。

 

だからこそ僕らは自由なんだ。

 

こうしなきゃいけない。

何かを成し遂げなければいけない。

生まれてきた意味を見出さなければいけない。

 

そんなことは一切ないのだ。

 

ありがとう。

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