沖縄の人々と日本本土の人々の祖先は同じだった!?日琉同祖論について詳しく紹介!

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島暮らしのおかもってぃ
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こんにちは!

島暮らしのおかもってぃです。

 

『沖縄の人々と日本本土の人々は祖先が同じ』

そんな説を聞いたことはありますか?

 

このことを始めて提唱したのは、琉球王朝時代の経世家、羽地王子向象賢(はねじおうじしょうしょうけん)。

その後、多くの研究がなされ、沖縄の人々と日本本土の人々の祖先は共通しているという説、日琉同祖論は、今や定説になりつつあるようです。

 

言語学者のチェンバレンは明治27年に沖縄を訪問。様々な研究し、地学雑誌に論文を載せました。

琉球人はその体質日本人に酷似して、モンゴリヤンタイプを有している。彼らの祖先はかつて協働の根源地に住していたが。紀元前3世紀の頃大移住を企て、対馬を経過して九州に上陸し。その大部分は道を東北に取り、ゆくゆく先住民を征服して、大和地方に定住するに至った。この間に南方に彷徨いつつあった小部分の者は恐らくある大事件のために逃れて海に浮かび、ついに琉球諸島に定住するに至ったのであろう。それは地理上の位置でも伝説の類似でも言語の比較でもたやすく説明される。(チェンバレン『琉球語の文法及び辞書に関する試論)

つまりこういうルートですね。

今日はその日琉同祖論を支える根拠を、沖縄学の父、伊波普猷(いは・ふゆう)氏の論文『琉球人の祖先に就いて』から紹介していきます!

根拠①言語的な類似性

琉球の人々と日本の本土の人たちの言語には、偶然とは思えない共通性がたくさん見られます。

明治ごろに使われていた琉球語と古事記、万葉集の言葉が似ている

古事記伝や万葉集に使われている言葉と似ている琉球語が多くあるそうです。

以下、明治初期の政治学家、宜湾(ぎわん)朝保が紹介している例を紹介します。

  • いめ

文字通り、夢のことです。

  • はふ

夜這いのことですね。えっ?こんな例を持ってくるなって?だって論文中の4番目に紹介されているれいなんですもの。

  • ぬうじ

虹のことです。

  • たね

男根のこと。日本本土では『者根(ものだね)』と言っていたそうです・・・だから論文に書いてあるんだって!

  • うはなり、くわなり

後妻や前妻のこと。宜湾さん、あなた絶対スキャンダル好きでしょ。

 

以上、紹介した琉球語は明治期には実際に使用されていたものですが、日本本土では死語となったものがほとんどだそうです。

伊波氏いわく、他にも本1冊分になるくらいのたくさんの例があるそうです(じゃあもうちょっとまともなやつを選べばよかったのに。。。)。

以上の言葉を、日本古代の文学を読んだはずの無い小さい島々の愚民が、日常使っていると聞いたら、誰しも驚かずにはいれまい。思ふにこれらの言葉は確かに琉球人の祖先が大和民族と手を別ちて南方に移住した頃に持っていた言葉の遺物である。(伊波普猷『琉球人の祖先に就いて』より)

琉球語に古代の日本語の音韻なごりがある

現在の「ハヒフヘホ」は以下のように変遷してきたらしいです。

  1. パピプペポ(P)
  2. ファフィフフェフォ(F)
  3. ハヒフヘホ(H)

P→Fへの変化は7世紀の推古天皇の時代、

F→Hへの変化は15,6世紀の室町時代に起きました。

 

明治期のころの琉球の各地では、PやFの発音が見られたそうです。

宮古、国頭では、今なおパピプペポの音が盛んに使われている。例えば日本の大(オー)ということは琉球の標準語ではウフ、国頭、宮古、八重山の方言ではウプである。(伊波普猷『琉球人の祖先に就いて』より)

これらは琉球語が古代の日本語を由来としている証拠である、と言うのが伊波氏の主張です。

 

他にも、明治期の琉球語と古代の日本語は動詞の変化や数詞について類似性が多くみられ、日本語と琉球語は姉妹言語である、と結論付けています。

根拠②文化の類似性

みなさん、勾玉って分かりますか?

これですね。

勾玉は宗教儀式に使われていたものですが、日本本土においては、千数百年前に廃れてしまった文化なのだそうです。

しかし、琉球の神女が祭祀を執り行うときは、いまだに勾玉を使用します。

日本内地では千数百年前に跡を絶った風俗が今なお琉球群島に残っているとはすこぶる不思議なことである。(伊波普猷『琉球人の祖先に就いて』より)

他にも、妊婦がいる家には屋根を葺かない、生まれた赤子に初浴させた後に着物をかぶせ、小さいカニを這わせるなど、古事記に書かれている風習が、明治期の沖縄には残っていたそうです。

 

そもそもこういった文化は日本由来ではなく中国由来の可能性も高く、沖縄にも中国から流入したと考えるのが自然な気もしますが、、、

根拠③宗教の類似性

明治期の沖縄の宗教には、中国の道教や儒教、仏教が大きく影響を及ぼしていましたが(もちろん今もですが・・・・)、その分を差し引いてみると日本神道との類似性が認められる、と言います。

彼らは(琉球の人々)日本人と同じく後生は暗黒なところで、死人は汚らわしいものと思っていた。そして彼らの神はキリスト教の神のような天主とか世界の主とかいふようなものではなくて、現に自分たちの上にいて、自分たちを支配している民族的な神であった。(伊波普猷『琉球人の祖先に就いて』より)

ようするに西洋的な絶対神ではなく、八百万の神を信じているところに類似性がある、ということですね。

 

う~ん、万物に霊性を認めるアニミズム的な思想は世界各国で見られるのでこのアナロジーはいかがなものか、、、

根拠④アマミキヨ

アマミキヨ、とは琉球開闢の祖と言われている神様です。

先ほど出てきた琉球王朝時代の経世家、羽地王子向象賢(はねじおうじしょうしょうけん)の時代に編集された、「中山世鑑」という文献の中に、出てくる国生みの神様です。

最初に日の神あり、美しく照り輝けり、日の神ふして下界を見たまうに、ただよへる国ありければ、アマミキヨ、シネリキヨ二柱(実は一柱で後者は前者の異名)の神に詔して、之を修理しめ給う。二柱の神詔のまにまに降りて数知れぬ島々を造りぬ。日の神待ちわび給い、そのあるを告るや、さらに詔して、『そこには天つ国の民の如きものを作る勿れ、然らば人類を造れ』と宣ひき』(おもろそうし「むかしはぢめからのふし」の訳、伊波普猷『琉球人の祖先に就いて』より)

この話、古事記に出てくる国生み神話にそっくりですよね。

 

・・・とは言っても、この琉球開闢の物語は、薩摩の侵略(1609年)後の1650年に作られているので、古事記の物語を模して作ったのではないかと思いますが、、、

 

また、アマミは奄美と取ることもできます。また、奄美大島の島民も自らアマミキヨの末裔であると称しているようです。

アマミキヨは奄美大島との関りがある。

このことは、琉球の人々が九州から奄美大島を伝って、沖縄に来た、ということの証拠なのではないか?

というのが主張です。

根拠⑤方角の言い方

我々はEastを「ひがし」

Westを「にし」と言います。

この言い方に、民族の移動の方向が表れているそうです。

日本語のひんがし(東)という言葉は日に向かうという意味で、日本人は東に向かって進んだことが分かります。また、ニシ(西)という言葉はイニシ(過去)ということであるから、自分たちが通ってきたところ、という意味でありませう。(伊波普猷『琉球人の祖先に就いて』より)

朝鮮やアイヌ語にも同様の傾向がみられるようです。

また、当時の琉球語では北のことをニシと呼んだそうです。

これが琉球の人々が来たからやってきたことの証拠になっています。

今沖縄語を研究してみますれば、東をアガリ、西をイリと申しますが、太陽の出るところをアガリといい、太陽の入るところをイリというたのは論ずるまでもないことであるが、北のことをニシというのは妙であります。何故に北のことをニシというのか。前にも申した通り、ニシはイニシ(過去)という意味であるから、これによって沖縄人が北より南に進んできたことが明らかに分かります。(伊波普猷『琉球人の祖先に就いて』より)

西や東の名称が民族のやってきた方向性を示しているなんて面白いですね!

最新の科学はやっぱりすごかった!DNA解析の結果

伊波普猷氏の論理には納得しきれない部分もあったのですが、最新のDNA解析のおかげで、琉球の人々のルーツは日本人である、という説が確かなものになってきているそうです。

琉球大学医学部の木村先生が沖縄県に在住する人350人のDNAデータを採取し、検討を行った結果、東南アジアや台湾などから沖縄の人々が渡来したとする説、南方系説が間違いである可能性が高いことが分かったそうです。

以下、記事より引用です。

琉球列島の人々の遺伝情報を広範に分析した結果、台湾や大陸の集団とは直接の遺伝的つながりはなく、日本本土に由来すると発表した。

(中略)

木村准教授は「沖縄の人々については、東南アジアや台湾などに由来するといういわゆる『南方系』との説もあったが、今回の研究はこれを否定している。沖縄の人々の成り立ちを明らかにする上で貴重なデータになる」と話している。

琉球人のDNAはアイヌ人との類似性がある

さらになんと、琉球の人々はアイヌ民族と民族的に近いことが分かっています

この説を最初に唱えたのはドイツ人の動物学者、デーデルライン教授。

博士は奄美大島の住民中に顔面、胴部、手指共に多毛を以て覆われたのが多いのを見て、アイヌの血が混じっていると断言された。(伊波普猷『琉球人の祖先に就いて』より)

毛深いだけで断言するって、学者の勘はすごいですね。。。

また、先にも登場した言語学者チェムバレン氏も沖縄の地名にアイヌ語が混じっていることを指摘しています。

 

そして実際に、遺伝子解析によってもこの説は確かめられています。

総合研究大学院大学と東京大学がゲノム解析を行ったそうです。

そして、琉球民族は日本本土の人々よりもアイヌ人と遺伝的に近いということが分かったそうです。

以下、記事より引用です。

総合研究大学院大学と東京大学は11月1日、日本列島人(アイヌ人、琉球人、本土人)のゲノム解析により、現代日本列島人は、縄文人の系統と、弥生系渡来人の系統の混血であることを支持する結果を得たとし、アイヌ人から見ると琉球人が遺伝的に最も近縁であり、両者の中間に位置する本土人は、琉球人に次いでアイヌ人に近いことが示されたと発表した。

日本列島には、縄文時代と弥生時代に2回、民族の移動があったと言われています。

縄文時代に日本列島にやってきた民族は、北海道から沖縄まで、広く分布したと言われています。

その後、弥生時代にやってきた民族と本土の人々は混血を繰り返しましたが、沖縄、北海道の人々は、この渡来人と混血をしなかったため、沖縄の人々とアイヌの人々は遺伝的に近しいままであった、ということです。

北海道にいた縄文人の子孫集団は、この渡来人との混血をほとんど経ず、やがてアイヌ人集団につながっていったのである。沖縄を中心とする南西諸島の集団も、本土から多くの移住があったために、北海道ほど明瞭ではないが、それでも日本列島本土に比べると縄文人の特徴をより強く残した。

 

つまり、まとめると

  • 琉球・アイヌの民族

縄文時代に日本列島に移住してきた民族

  • 日本本土の民族

縄文時代に日本列島に移住してきた民族と弥生時代に移住してきた民族の混血

ということですね。

分析結果等もかなり詳細に書いてあって面白いので、ぜひ上記の記事は読んでみてください。

まとめ

はい、そんなわけで沖縄の人々と日本本土の人々が同じ民族であったことをつらつらと書いていきました。

 

正直、僕は言語学に疎いので挙げられている証拠がどれほどの重要性を持つものかの判断ができず、

「う~ん、いまいち納得できないな~」と思っていました。

また、当時の学者は琉球民族の地位を引き上げる必要性にも駆られていたはずです。

そういった使命感から、日本本土の人々と琉球の人々は同族である、ということを言いたかったのかな~と邪推していました。

しかし、琉球の人々と日本本土の人々、さらに言えばアイヌの人々も民族系統が近いという事実は今や遺伝子解析によって明るみになりつつあるのですから。

昔の学者の勘はすごいですね。

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