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こんにちは!
島暮らしのおかもってぃです。
今日は久米島の知る上での僕のバイブル、
『沖縄・久米島から日本国家を読み解く』を紹介したいと思います。
ものすごく面白くて僕はもう何度読んだか分かりません。
引っ越してきた人も島出身の方も、久米島のことを知りたい方にはぜひ読んでほしい1冊です。
著者、佐藤優(さとう まさる)さんについて
佐藤優さんは、『知の怪物』と言われるほど博学でインテリな方です。

東洋経済オンラインより(http://toyokeizai.net/articles/-/11623)
もともとは外務省に勤務し、北方領土問題に携わっていましたが、2002年、鈴木宗男氏と共に背任と偽計業務妨害容疑で逮捕され、512日間も東京拘置所に拘留されてしまいました。
釈放後は精力的に執筆活動を行っています。
そんな著名な方がなぜ久米島に関する本を書いているかと言うと、お母さんが久米島の字西銘出身なんです。
佐藤優さん自身も久米島に何度も訪れ、久米島高校で講演を行ったり、多数の本を寄贈してくださったりしています。
世界の中心は西銘集落
佐藤優さんがこの本を書くきっかけになったのは、東京拘置所にいたときに弁護士から差し入れとして受け取った「おもろさうし」だったそうです。
『おもろさうし』には久米島のおもろ(歌謡)も収録されている。そのなかに、世界は久米島の新垣の杜から始まったという記述があった。それを読んだときに私は雷に打たれたような衝撃を受けた。これまで私は東京の永田町、あるいはモスクワのクレムリンやワシントンのホワイトハウスが地球の中心であるように考えて世界を見てきた。しかし、地球は球体である。任意の点がその中心になるはずだ。久米島の新垣の杜を中心にして世界史を描くことも可能なはずだ。そうなるとこれまで自分に見えなかった「何か」が見えてくるはずだ。(同著『はじめに』より)
『おもろさうし』は琉球王朝によって編纂された、当時の民衆の様子や為政者の活躍を描写する歌集です。
琉球王朝を謳っているのもあれば、久米島についてのおもろもたくさんあるんですね。
久米島にある新垣の庭について謳われているのが以下のおもろになります。
あまみやみるや仁屋(にや)
まきよ 選(ゑら)です 降れたれ
百末(ももすえ) 手摩(てづ)られ
又 しねりやみるや仁屋
ふた 選です
又 新垣の庭に
まきよ 選です
又 大祖父の庭に訳
大昔からの、ニライからおいでになったミルヤ神は、この部落を選んでこそ、新垣の、祖先の神庭に降りたのだ。いついつまでも末永く祈られてましませ。
(外間守善『おもろさうし 下』より)
『新垣』というのは、久米島の西銘集落の草分けとなった一族です。
今も久米島の西銘には『新垣の庭』が残っているんですよ。
ちなみに神様がいるのは右のコンクリートの建物ではなく、左の物置の中のようです。

球体である地球は、いつでもどこでも、そこが中心になりうる。
そんな発想から久米島を視点に、沖縄を、日本国家を、世界を考えている本。
そして最も感銘を受けたのが、この本の中で佐藤優さんが紡ぎ出した『久米島性』です。
久米島性とは?
『久米島性』は久米島の人々が有する固有の性格のことです。
按司の支配が終わり、琉球王朝の尚真王に討伐される15世紀まで久米島は独立国家として存在していました。
古来より続いてきた島の文脈は現在も継承されているのでは、と佐藤優さんは言います。
琉球王朝に征服されるまでに久米島の人々は自らの固有の性格(久米島性)を身につけて、それは琉球王朝の支配下に服し、皿に明治維新後の琉球処分によって、日本の統治下におかれた後も、久米島性を失うことなく、今日まで続いているのだと私は見ている。(同著第4章『ユタ』より)
島として受け継がれてきた『久米島性』とは何なのでしょうか?
本著から読み取れるのは『易姓革命の思想』と『寛容の原理』です。
易姓革命の思想
易姓革命の思想は、天子(王・為政者)は天命によってのみその地位に就くことができる、という考え方です。
なので、天命を失えば、その為政者は権力を失い、また新たに天命を受けたものが支配者として君臨します。
それに対して、日本本島では革命は起きません。
天皇が常に国のトップに君臨するからです。
久米島および、沖縄全体にはこの易姓革命の思想が残ると同著の中で佐藤優さんは述べています。
そして、この易姓革命の思想のもと、島のために活躍した1人が『堂のひや』という人物です。
堂のひやについて
堂のひやは堂地区(今の宇江城・比屋定辺り)を治めるリーダーでした。
当時の人々は血縁関係を中心とした共同体を形成しており、神女をトップにした祭政一致の政治システムの中、暮らしていました。
しかし、15世紀ごろ、沖縄本島の権力争いに敗れた按司たちが、続々と久米島に流れつきます。
彼らは土着の政治システムを破壊し、住民から租税を取り立てて支配を始めました。
武力を持った彼らに立ち向かったところで、久米島の島民が敵うはずもありません。
そこで堂のひやがどうしたかというと、城の建設に適した場所を按司に教え、自分が住民から租税を取り立てる役目を担い、積極的に按司に協力するんです。
天命はすでに按司たちにある。
それを知った堂のひやが取った行動は、久米島という地域共同体を守るために仕方なかったことだったんだと思います。
心から付き従っていたわけではないのは、按司が没落したときのエピソードからよく分かります。
16世紀に琉球王朝の尚真王によって久米島の按司たちは討伐されてしまいます。
按司たちの城がまさに首里軍に攻め落とされようとしているとき、堂のひやを信頼していた按司は自分の子どもを堂のひやに託します。
しかし、なんと堂のひやはその子の髪を結うふりをして殺してしまうんです。
さらに、琉球王府にはその子が病死してしまった嘘をつき、自分自身が城を治めようとししました。
しかし城に登るときに落馬し、持っていた剣に貫かれ死んでしまったらしいです。
天命が久米島の按司ではなく首里軍にあると悟った堂のひやは、按司を裏切りました。
でも、元々按司たちは外から来て武力を背景に、勝手に租税を取り立て始めた連中です。
力を失った彼らに付き従う理由はどこにもありません。
堂のひやが考えていたのは『いかに島として生き残るか』ということだったんだと思います。
久米島の本当の英雄はこの『堂のひや』なのではないかと仲原善忠氏も言います。
最後の落馬のエピソードは堂のひやの傲慢さを示すものですが、恣意的に書かれたものなのではないかと個人的には思っています。
寛容の原理
本の中で少し紹介されているもう1つの久米島性とは『寛容の原理』です。
昔から綺麗な水が流れ、米が取れ豊かな久米島は受け入れの思想があったと言います。
琉球王朝の討伐により権力を失った按司たち、その多くは自害をしたり殺されてしまいましたが、生き残ったものもいました。
なぜなら、久米島の土着共同体が外来の為政者を受け入れ匿まったからです。
租税を取っていた昔のいじめっ子に報復はしませんでした。
また、20世紀初頭に、鹿児島県の硫黄鳥島が噴火したときに、その島民を受け入れたのは久米島でした。
その流れをついでか知らずか、現在も福島県の子どもたちを受け入れる『NPO法人 球美の里』が久米島にはあります。
僕自身もいわば、外部から来た人間です。
日本の一部の地域では、外から来たものがなじむのはとても大変だったりするらしいですが、久米島ではそんなこともなく、地域の中で活動しながら楽しくやらせてもらっています。
久米島性の『寛容の原理』は現代にも引き継がれているのと感じます。
僕たちは歴史を知らなければならない
そんなわけで、久米島の島民性を知りたい人にとって、この本ほど素晴らしいものはないと思います。
でも、知りたいか知りたくないかに関わらず、いろんな人にこの本を読んでほしいです。
なぜなら、島が紡いできた価値観に僕らは知らず知らずに影響されているからです。
僕らが今当たり前だと思っている思考や考え方の多くは、周囲の環境や社会に影響されて、『持たされている』に過ぎないんです。
島に来て知ったことが、高校卒業後、大学に行くことが普通なのではない、ということでした。
島にある唯一の高校、久米島高校は進路多様校で大学入学者は全体の3分の1程度。
あとは就職や専門学校といった進路を取ります。
僕が通っていた高校は都立の進学校では、みんなが何の疑いもなく大学進学を選びます。
それが当たり前だと思っていました。
なんで僕が当たり前だと思っていたかというと、自分の両親や周囲の環境・友人の影響に他ならないんですね。
自分で考えて、大学に行こうと決めたわけではないんです。
生きているうちに、周囲の環境から、大学進学をした方がいいと思い込まされていただけなんです。
人間は、知らず知らずのうちに社会や周囲の考え方、価値観に良くも悪くも影響されてしまうんです。
歴史の長いこの島には、島が代々受け継いできた価値観、思想があります。
そして、それは現代を生きる島の人にも必ず受け継がれているはずです。
歴史を紐解くと、その思想の根流が見えてくる気がするんですよね。
「足元を深く掘れ、そこに泉があり」と、哲学者ニーチェが言いました。
自分自身の将来を描くときも、深い自己理解無くしては未来は描けません。
それは島でも同じだと思います。
未曽有の問題に直面する今、久米島を含め、多くの地方自治体が10年後、20年後を見据えて動き始めています。
でも、その土地が培ってきたもの、受け継いできたものを足蹴にして未来を描くことは出来ません。
だからこそ、島について深く知り、未来を見据えていく必要性があるのではないかと思います。
それでは素敵なKumejimaLifeを♪
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