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論理的思考が重視されていた左脳型の男性社会から、創造的思考が重視される右脳型の女性社会へ!
安倍内閣が『すべての女性が輝く社会づくり』を目指しているように、これからは女性の時代がやってくると言われています。
沖縄久米島にも、バイタリティあふれるパワフルで素敵な女性がたくさん。
そんなわけで、ここKumejimaLifeでも久米島の魅力的な女性を勝手に紹介していきます!
その名も『久米島美女図鑑』
記念すべき第1回は新垣希さんです。
目次
新垣希さんプロフィール

岡本
希さんは久米島出身ではないですよね?
希さん
そうそう、沖縄本島で暮らしていて学生のときだけ外に出て、また帰ってきて、学校の先生とか、図書館とかに勤めて、すぐに結婚したからそれからずっと専業主婦だった。
岡本
先生はどれくらいやってらっしゃったんですか?
希さん
でも短かった。担任持って働いてたのは半年くらい。産休の補充で入ったから。その先生が復帰するタイミングで終わって、その次に、同じ村内の幼稚園から中学校までの並置校で図書館を見ていた。幼稚園から中学3年生までみんな来るんだけど、毎日本を読みに来るからそれがすごい楽しくって、ちょっとしたおしゃべりしたいためだけに来る子とかもいて。
岡本
僕もよく図書館に行ってましたね。
希さん
女の子も男の子もそんな感じだし。いいな~と思って、
こういう仕事の方が向いているなって。
病院も無い島には行きたくなかった

希さん
今の主人とはその並置校で出会って、結婚して。
でも、結婚してから、ずっと本島に住めると思ってたから、まさかね・・・
久米島に引っ越すことになるとは。
岡本
いつ頃引っ越してきたんでしたっけ?
希さん
17年前、結婚してから5年目。
そのときはまだ公立病院がオープンしてなかったから、
当時3歳と4歳の子どももいたのに「病院の無い島に行くなんて冗談じゃない!笑」ってちょっと思ってて・・・
まあ旦那さんがこっちの出身だから、もし1回転勤したら長い事久米島にいることになるなというのもあったから、いきなり何もない島にいくのが怖いっていうか。
「だったら逆に外国に行ってみる?」って聞いたんだけど、家のお父さんが、絶対に外国は嫌って・・・
岡本
外国は外国で怖いんじゃないんですか?
その思考がよく分かんないんですけど。笑
希さん
それで久米島に来て、ちょうど3人目が生まれて、そのときは3人とも保育園に入れてなかったから家で見てて、ゆったり、どこに行くのも歩いて活動してた。最初島の人が変わってるなと思ったはず。
島の人は外歩かないから、笑
びっくりしたのが、こっちは誰も知らない状態で来てるけど、周りの人は何々先生の奥さんとか、どこどこのお嫁さんっていう目で見てる。だから簡単に発言も出来ないし、どんなテンションで付き合うかっていうのも難しくて、何しても見られていると勝手に思っちゃってた。
本島に住んでた時には感じたことのないプレッシャーがあった。だから最初の1,2年は息苦しくて、ただ子どもたちを楽しませることを考えてた。
ただ支援センターが出来て、同じ年齢の子どもがいる知り合いが出来て、だんだん楽しくなってきた。
その頃、真謝に家を建てて引っ越してきたんだけど、周りの人が本当に良くしてくれて、
逆に地元の人だと、「地域の密着がいやでここに住みたくない!」っていう人がいるけど、うちの周りの人は本当に親切で。
地域には人を育てる力がある
希さん
子どもが急にいなくなったりしても、夕方まで探してくれたりとか。
「ちょっとしたことで子どもも私たちのことも褒めてくれる、こんな環境で子ども育てられるってなかなか無いな~」って。
街に住んでると、こうしたちょっとしたことでほめたりとか、注意したりとかってないんじゃないかなと思って、本当にありがたいな~って。
真謝には人を育てる力があると思った。
でもだんだん高齢化してきて、そういう人たちがいなくなってきているけど・・・
うちの長女が小学校の時までは、地域の人が子どもや孫がいなくても運動会に来てくれて、「ダンス上手だったね」とか子どものことをほめてくれたりとかしてくれる。
地域が見てるということを子どもたちも感じていた。
真謝って島の中では小さいけど、現役で国立大学に行っている人も多いし。
それはまだ地域に人を育てる力があるからなんじゃないかと思って。
親のことももう大人なのに、「子どもたちを良く育ててるね」って声かけてくれたりする。
大人の私たちも育てられている。
本当は私たちもそういう立場になって行かないと行けないけど・・・
自分で出来るようになるまで教えるのが母の仕事
希さん
子どもたちには小さいころから、『知ることが楽しい』と感じて欲しいと思って、物作りとかのイベントがあったら必ず連れて行ったりとかしてた。
幼稚園くらいのときから、子どもたちに「お母さんの仕事って何だと思う?」って聞いてて、子どもは「子どものお世話?」って答えるんだけど、
「あかちゃんのお世話をするのはお母さんの仕事だけど、子どもの世話をするのはお母さんの仕事じゃない」っていつも言ってて、
「幼稚園生だから、洋服も自分で着れるし、来たい洋服も選べるし、自分で食べたりも出来るし、出来ることがいっぱいある。でも、これからなんでも自分で出来るようになるまで教えるのがお母さんの仕事。分かんないことあったら何回でも聞いて良い」って言ってた。
だから小さいときから料理も何でもやるし、やることなんでも面白がる。
岡本
なんで幼稚園の頃からそんな風に接してたんですか?
希さん
私にとっては自然。
例えば洋服を選ぶときも、子どもに洋服を選ばせたりしてたし。迷ったときも子どもがいいって言った方を必ず買う。
次に着たときに「この間これを買って正解だった!あなたたちの言うことを聞いて良かった!」って言うんだけど。
もちろん本当にそう思っていることなんだけど。
子どもたちは『認められた感』とか小さいころからの積み重ねで育っていくと思う。
まあ私が頼っているだけなんだけどね。お互いのためにラッキーなのかな
子どものときから友達みたいに話すし、子どものアドバイスも聞く。だから周りの人が見てて「子どもとしゃべっていると思わなかった!」と驚かれることもある。
人って幼稚園に上がるころには出来ていると思うから、いろんなことに興味を持つとかを小学校に上がってからやっても難しいのかなって。
私は子どもたちに、共感とか共有することを楽しいと思える子に育ってほしくて。他の人と何かして「嬉しい、楽しい」って 喜べるなら、いずれ親から離れても 新しい仲間やパートナーと幸せに生きていけると思うから。
家の子どもはもう中高生だけど、「美味しいお菓子があった!」って言って、それをちょっとだけ残しておいてくれて、食べさせてくれる。「絶対お母さんに食べさせたかった!!!」って。
もう少ししかないんだから食べちゃえばいいじゃんって思ったんだけど、「一緒にこの美味しさを共有したかった!」って言われて、嬉しいな~って思って。
物静か過ぎた幼少期
岡本
希さんも小さいころから、好奇心豊かだったり、自立してたり、そんな風な子どもだったんですか?
希さん
小さい頃の方が自立していたかも。今の方が人に甘えるかも。
もともと自分のことは自分でやらないと嫌なタイプだったし。
岡本
小さい頃どんな子どもだったんですか?
希さん
小さいときは怖がりだった。学校から1人で歩いて帰れないくらい。
学校にいるときの緊張感が強くて、ほぼ話せなかった。
1日ほとんど話さないことも多かったし、『どうやったら先生に気付かれないで済むのか』っていうことに神経を使っている子どもだった。
家に帰ったらすごいほっとするっていう。でも、自分の中で休む発想はなくて、学校で誰かに意地悪されたわけでもないんだけど。
3、4年生のときにドッチボールをしていて、当たりたくないからずっと逃げ回っていたら、最後の1人になってしまって・・・
クラスのみんなが応援してくれるんだけど、目立っている状況もボールに当たるのも、怖くて泣きそうになって、笑
中学生のときに転校したんだけど、それくらいからあんまり人と話すのが苦痛じゃなくなってきた。
定期テストで成績が張り出しされたんだけど、120名中の上位に入ってて、それまでは頭が悪いと思ってたのに、「私頭悪くないんだ!」って思って、笑
それが自信の元になっていった。で、部活入って、運動部だったから。ホッケーやってて・・・
岡本
ホッケー!?笑
希さん
毎日毎日走るから体力ついて足も速くなって、そしたらクラスの中でも早い方になってきて、「だんだんできるな~」って気持ちになって来た。
小学校の友達が見たら、びっくりすると思う。
中学高校くらいの時に、小学校1年の担任の先生にたまたま会って、たぶん先生は自分のこと知らないと思ったから、声をかけることも出来なかったんだけど、先生の方から声をかけてきて、
「覚えててくださったんですね。覚えてないと思ったから、声かけられなかった」って言ったら
「大人しすぎてとっても目立ってた」って、笑
岡本
今では想像できないですけどね。
希さん
でもやっぱり人と接するのが楽しいから。
島にいても人と関われる仕事が出来たらいいかなという感じ。
島にいると人の役にも立てるし自分も嬉しいことがある
岡本
今の希さんを形作った過去の出来事って何ですかね。
希さん
中学校への転校と、やっぱり久米島に越してきたのは大きい。
本島の妹に「もし、旦那さんが病気とか事故で無くなったら本島に帰ってくるよね?」って聞かれて、
「いや、帰らないと思う」って答えたら
「はっ!?だってあんたは旦那さんが島の人だから島に住んでるんでしょ。なんで帰って来ないの?」って。
だけど私にしてみたら、今久米島にいるから本を読んだり何かしたり、やれることがあったり、知ってる人がいたり、友達と助け合って生活したりしてるんだけど、今もし地元に帰っても、知ってるのは自分の家族だけだし・・・
私に何かできることある?
居場所も想像できないし、かといって、ばりばり仕事が出来るわけでもないから。
だけど久米島にいたら、人の役にも立って、自分も嬉しいことがあると思うんだけどねって言ったら
「ショックで泣きそう」って言われた、笑
だからずっと久米島にいるはず
本島に行っても役に立てる何かを見つけられないな~って、今は。
岡本
僕も故郷に帰りたいとはそんなに思わないんですけど、感覚は似てるかな~と思います。
希さん
今関心があるのは(建設予定の)図書館で、その委員にも入ってるんだけどいろんな人に問いかけて、どういうものだったら、来たいと思うか、使いやすいか、みんなでアイデア出し合って出来たらいいなって思う。
本だけじゃなくて、いろんなことで人がつながれるところにしたいっていうのが強い。
みんな、人のために出来ることがある
希さん
この間、高校生のチャリティパークゴルフの閉会式の挨拶をしたんだけど、
(※チャリティーパークゴルフ:部活動の遠征費を得るために高校生がパークゴルフ大会を開いて、島人を招待する催し物)
地域の人って自分が働いたお金を使って高校生のために来てくれてる。
よく「感謝の心を持って」って口で言うんだけど、それを表すのはいつなの?
大人になってから、何かやればいいと思ってる?
大人になって地域のために出来ることもあると思うんだけど、そうじゃなくて今も出来ることはあると思う。
「久米島マラソンとか、町民運動会とか手伝って!」って言われたときに嫌な顔をするんじゃなくて、地域の人が楽しみにしている行事を手伝ってサポートするのも、今出来る恩返しだから・・・
そういう地域の人のために出来ることってあるんだよね今でも。
みんなが人のために出来ることってあるから、そういうことを考えて生活して欲しい。
っていう話をした。
多分気付かないと思うわけ。でも本当は出来ることってある。
ちょっとしたことだけど地域の人はとっても喜ぶから。
岡本
それはみんなに大切ですね。子どもに限らず、島に越す人も住んでいる人にとっても。
子どもが安心できる大人で居続けたい
岡本
5年後、10年後、こんな島になったらいいとかってあります?
希さん
今でも、5年10年前よりも、人と人との関係が希薄になっていると思う。
以前は声をかけてくれるおばあさんたちがいっぱいいたけど、そういう関係をお互いに持っていけるようにしていかないとな。
今、保護者同士もなかなか会う機会もないし、やっぱ変わっていってるわけ。この5年10年でも変わってるなと思うから・・・
岡本
小学校の集まりとかは、頻度が減ったんですか?
希さん
頻度もへってるし授業参観でも、仕事をしているお母さんがほとんどだけど、ちょっとでも来て帰る人が前はけっこういたわけ。
でも今は家にいても来ない人も多いし、行事にも参加する人も少なかったり。でもどこの学校もそうっていうから、不思議だなーって思って。
でもまだ小さい学校だから、お互い顔も知ってるわけ、だから何かあったらお互いにコミュニケーションを取れはするから、そこらへんは良いなと思う。
岡本
そんな中で希さんは何をする人なんですか?
希さん
なんなんだろうな~、笑
今、小学校にも学習支援に行ったり、読み聞かせに行ったりしてると、子どもたちが顔が分かるから、どこに行っても話しかけてくれる。だからそういうのがもっと広範囲で出来れば。
子どもたちが安心感を持てる大人が増えれば、地域も暮らしやすいから、だれか分からない人が多いと不安だから、そういうね。
「希さん!希さん!」って幼稚園くらいでも声かけてくれるし、大学生の子も話しかけてくれる。地域の子たちが、「あ、この人のこと知ってる!一緒に何かをやってくれる!」って感じられる大人で居続けたいけど。
岡本
久米島の小学生の母ですね。絵本の読み聞かせでほとんどの小学生と話してますよね。
希さん
いろんな学校に行かせてもらってる。何十人もいるからこっちは覚えられないんだけど・・・
移動図書館とかで会うと、本を持って来てくれる子とかいるから、そういうのいいなって思って。
安心できる大人にね、なっていかなくちゃ、笑
岡本
もう充分なってると思いますよ、笑
編集後記
「久米島にいるから、人の役に立てることがあるし、自分も楽しいことがある」という希さんの言葉が印象的でした。
人間は『共同体感覚を持っているときに幸せを感じる』と、アドラー心理学では考えられています。
『共同体感覚』と言うのは、自分が所属しているコミュニティにおいて、自分が役に立ち、周囲に貢献できている感覚、自分の居場所がある感覚を指します。
僕も地区の青年会活動に参加させてもらっているのですが、この感じはとてもよく分かるんですね。
行事のお手伝いをしていると、地域の方が何かと声をかけてくれます。
そんなに大したことが出来るわけではないんだけど、地域の方がよく声をかけてくださるから、自分の居場所感、つまり共同体感覚を感じられるようになるんです。
この共同体感覚は都市部では得にくくなっている気がして、でも、島にはそれが得られる環境が残ってるんじゃないかって感じるんですね。
希さんもおっしゃっていたように、今、人間関係が薄れていっていると言われていますが、地域のつながりは島の価値そのものだから。
大切に守っていくべきなんじゃないかと思いました。
希さん、ありがとうございました!
では、素敵なKumejimaLifeを♪
こんにちは!!
久米島美女図鑑
大変興味深く読ませていただきました。
希さんのバイタリティーには敬服いたします。
次回はどなたでしょうか?
楽しみにしていますね~
くるくるみんさん>
コメントありがとうございます!
本当に、エネルギッシュで素敵な方ですよね^ ^
まだ何も決まっていませんが、今後も行っていきますのでよろしくお願い致します。