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論理的思考が重視されていた左脳型の男性社会から、創造的思考が重視される右脳型の女性社会へ!
安倍内閣が『すべての女性が輝く社会づくり』を目指しているように、これからは女性の時代がやってくると言われています。
沖縄久米島にも、バイタリティあふれるパワフルで素敵な女性がたくさん。
そんな女性たちの過去・現在のストーリーを聞きながら、これからどう生きていくのか、その中で島にどうかかわっていくのか。
そんな物語を紡いで行けたらいいなと思っています。
第8回目は、NPO法人球美の里で働く熊手あゆみさん。
居住地は沖縄本島ですが、島に関わるようになって4年目。
子どもたちへの想いが本当に素敵な方です。
目次
熊手あゆみ(くまてあゆみ)さんプロフィール

岡本
球美の里に関わるようになったのは?
くまちゃん
3・11のときには那覇で別の仕事をしていたんですけど、結局そのときに何もできなかったっていう想いが強かった。
でも福島はあまりにも遠いし、自分が行っても何もできないなって思ったので、5日間だけ球美の里にボランティアに来たのが、きっかけ、27次保養だったかな。
そのときは放射能の話とかも全然分かってなくて、チェルノブイリのことなど、よくよく自分で調べてみたりすると、本当に大変だなって。
被ばくで子どもの白血病が増えるって話を聞いて・・・
私は19歳で母を白血病で亡くしてるんですね。
母はずっと抗ガン剤治療をしてたので、これを子どもたちがこれから受けるっていうことだけは何とか止めたい、何かできることがないのかっていうのが動機ですね。
ちゃんと見てるから
岡本
ここでの生活はどうですか?
くまちゃん
見ての通りです、笑
日々走り回って、本当に幸せで。こんな仕事をさせてもらってて良いのかというのが正直な感想。
子どもたちにさせてあげたいと思うことを自分で考えて、企画して、職員みんなで相談しながらプログラムを組んで。
喜んでいる姿をみたときに、良かったなって思いますね。
岡本
球美の里でボランティアさんと作り上げる関係性がすごくいいなと思って。
彼ら、彼女らは一時的にしか関われないけど、だからこそ出会いの貴重さがあるなって。
くまちゃん
面白い場所ですよね。いろんな人が関わっているし。
全国から、海外から来てくれる人にここで会うっていうのは子どもたちにとってすごく大きな刺激になるんじゃないかなって思って。
職員は変わらないけど、ボランティアさんは毎回違うし。例えば久米島高校の生徒のように歳の近いお兄さんお姉さんが自分たちのために来てくれてるっていうのが、子どもたちもすごくうれしいみたいで、その出会いが毎回面白いですね。
岡本
ここ数年で特に印象的だったことはありますか?
くまちゃん
最近「ボランティアに来たい」っていう子どもたちが増えていてそれが嬉しい。
「また来たい」って言ってくれる子はたくさんいるんだけど、「自分もここで何かしたい」って思ってくれて。
「部活とか勉強頑張って高校生になったら球美の里にボランティアに来るんだ」って目標にしている子もいて。
それが一番感動しますかね。
自分も何かやりたいなって思ってくれるのはボランティアさんの力。
福島のいじめの報道とかもあって、「自分たちは汚れているんじゃないか」って子どもたちが思っている可能性もあるんですよ。
でもそうじゃない、そういう人ばっかりじゃない、ちゃんと見てるから、応援してるからって。
そう伝えることが一番大事かなと思いますね。
子どもは子ども同士で認め合って生きている
岡本
最初はたぶん勢いで球美の里に参加したっていうのがあると思うんですけど、3年間の活動で得たものってなんですか?
くまちゃん
よく分かってらっしゃる、笑
なんだろうな、でもここしかないって思いましたね、そのときはね。
でもそれまでずっと塾で働いてたので、子どもたちに勉強させなきゃいけなくて、それがすごくつらくて、
勉強やりたい子はいくらでもサポートしたいんですけど・・・やりたくない子もいて。
「なんでこんなことをやらなきゃいけないんだ!」って自分も小さい頃に思ってたし。
でもそのときに、大人はちゃんと答えてくれなくて。私同じことをしてるなって。
今はとにかく、楽しくここで遊ぼうって、何のストレスもない空間にいるのが自分にとっても良いのかなって思いますね。

くまちゃん
子どもたちも大人がいろいろ言わなくてもお互い尊重してやってて、
歳が下の子を可愛がったり、手をつないであげたり、ホームシックで泣いてる子がいたら、背中さすってあげたり自然としてるんです。
子どもは子ども同士の世界で認め合ってるっていうか、すごく人間的な部分がここにいると見えてくる。
本当に美しいなって思う瞬間があって、感動しますね。
そういうのを引き出してくれる空間なのかなって思いますね。
自分の目と足で世界を見ること
岡本
子どもたちにはどうなって欲しいですか?
くまちゃん
あまりこうして欲しいとか思わないけど、いろんな情報を鵜呑みにするのではなく、自分の目と足で確かめる人になって欲しいなって思いますね。
岡本
何でそんな風に思うんですか?
くまちゃん
母を亡くした後に友人がバックパッキングでタイに連れて言ってくれて、そこでちょっと放浪をして、ちょっと冒険をして、自分一人でも普通にリュック1つで世界を回れるんだなって思ったときに、すごく楽しくなっちゃって。
世界地図が変わった。
高校のときも、世界のことが知りたいなって今の大学にいったんだけど、
そこでたまたま取ったゼミ、インドネシア研究をしている村井吉敬先生のゼミがすごく面白くて、とにかく何でもいから自分の目で見て、現場に行きなさいっていう方針だったので。
村井先生のゼミに入ったら、「あ、世界ってこんな風になってるんだ」って分かって。
タイのスラムに住んで調査したりとか、貧困を改善するためにどうしたらいいかってNGOと連携してやってたりとか、優秀な子ばっかりだった。
私はもう目からうろこがぽろぽろ落ちて、先輩たちがすごくまぶしく見えましたね。
世界がすごく見えやすくなったのと同時にどこにいっても弱い立場、虐げられてる人がいるんだなって思ったし。そういった人たちに寄り添うことを、村井先生には教えてもらいました。沖縄もそうですね。
くまちゃん
小5のときに家族で1年間カナダに住んでたんですが、日本に帰ってきたときのカルチャーショックがひどくて、カナダでは先生たちとの距離が近いし、意見も聞いてくれるんですよね。
日本の学校も楽しいんですが、なんかシステマチックで軍隊みたいで、一番下の妹はもともとすごくオープンで言いたいことを言うから、「なんて生意気なんだ」って言われて。確かに生意気だけど、笑
もう少し良さも認めてほしかった。
不登校にはならなかったけど・・・
良い学校もあるけど、どれだけの子が不登校と引きこもりになっているかって考えると、どっちの方がおかしいのかな?とは思いますけどね。
だから子どもたちにとっては、ここでの出会いっていうのがすごく大事。
高校生だけじゃなくて、おじいちゃん、おばあちゃんの世代もいるし、いろんな世代、職業、国の人たちがいて、もいたりとか、わけわかんない感じだけど、「こんな大人もいるんだ」「こんな風な生き方もあるんだ」って思えるっていうのが、すごくいいんじゃないかなって。
持ってるものをつなげ合えば
岡本
これからここをどんな場所にしたいですか?
くまちゃん
いつでも帰って来れる場所にしたい。
「ただいま!」ってくる子もいるし、こっちも「お帰り!」って。
実家じゃないですけど、いつでも帰ってきなねって場所ではいたいですね。
岡本
自分が所属感を感じられるコミュニティがあるってすごい大切なことですよね。距離が離れてても。
くまちゃん
福島のお母さんたちも「みんなどうしてるかなって思うだけで元気が出る」って言ってくれるし、
私たちもそうですよね。
お互いそういう風に思い合って、頑張ろうってなれたらいいなって。
たぶん低学年の子は分かってないと思うけど・・・最後の最後に「ここ沖縄?」って聞いてきたりしますからね、笑
岡本
そんな中でくまちゃんはどんなふうにありたいですか?
くまちゃん
私は特にこれと言ったものがなくて、ただこの人とこの人をつなげると面白いなとか、どうなるんだろうとか、そういうのがすごい好きで。
つなげる存在でいたいなって思ってる。
小学生の頃『ジャングル大帝』が好きで、ジャングルが山火事で大変な時にレオがレストランを開く回があるんです。
ライオンは草が余ってたからって草を持ってくる。
シマウマは逆に肉が落ちてたからって肉を持ってくる。
そんなうまく落ちてるわけないんだけど・・・笑
でもそれを持ち寄って、みんなでそこで食べるんですよね。
そういう風に自分が持ってるものを持ち寄ったら、みんな幸せになれるんだなって、子ども心に思いました。
自分はそのレストランみたいに、例えば「絵が好きな子とどのボランティアさんをくっつけたら・・・」とか考えてやってる。
そうすると子どもたち自身がすごく安心する。
引き出してつなげていくのはすごく好きだなって思いますね。
西銘の老人クラブとの交流にすごく感動して。
竹とんぼに紙鉄砲、アダンの葉で風車に、ソテツで作った虫かご。昔の知恵(じんぶん)の詰まったものを全部手作りで用意してくださって。
子どもたちは初めてだったので、すごく楽しそうにずっと一緒に遊んでましたね。3時間くらい。
そういうのを見ると島の力がすごいなって思うし、まだまだあるんですよね。
何かやりたいと思ってくださっている方が久米島は本当に多くて、そういうところと子どもたちをつなげていくのがすごく楽しいので、考えるだけでワクワクします!
母のように、みんなのために

くまちゃんの大きく影響を与えたお母さんの写真
岡本
5年後、10年後どうなっていたいかとかあります?
くまちゃん
自分の目標は母親。
専業主婦なんですけどとにかく面白い人で
困った人がいたらすぐ助けにいっちゃうから、小さいころからいろんな人が家にいて。
ただいまって帰ってくると誰かしら人がいるし、みんなでご飯を食べるのも普通だったし、どこにいってもいろんな人をつなげていた存在だったんですね、母が。
同じ車両の中にインド人の方が立ってて、
別に困っていそうな感じじゃなかったけど、母親が「話しかけてみる!」って言って、仲良くなっちゃって。
次の日家でカレ―作ってるっていう、笑
「だって大変でしょ。違う国で、言葉も違う中頑張ってるんだよ!」
「いや分かるけど、なんで家でカレー作ってるんだよ」って、笑
そんな母親だから本当に人が寄ってくるんですよね。
そういう場所を作れたら、そういう女性になれたらいいなって思いますね。
岡本
コミュニティがどんどん壊れていると言われる中、そういう存在って絶対必要だと思います。
くまちゃん
小学生の同級生が母親のことをよく覚えてくれてて、
運動会で私以上に他の子を応援してて、いつも一番前で旗降ってくれていたって。
「自分の子どもだけじゃなくて、他の子たちも平等に愛してくれたから、お前の母ちゃん大好きやったっちゃん!」って言ってくれて、涙が出るくらい嬉しかった。
そういう存在でいたいっていうか。
そんな風に生きていけたらいいなと思っています。
編集後記
あるものを生かすこと。
とても大切なことだと思います。
人間は何に対しても『欠けたもの』に目がいきやすいんです。
自分はなんてだめなんだろうとか、なんでこんなことも出来ないんだろうとか。
足りていない部分に注目してしまいがちです。
でも、出来ていること、自分がすでに持っているものが必ずあるんですよね。
そんなものの中に、自分にしかできない本当に大切なことがあったりすることも。
それに気付いてあげられる他者の存在があるって大きいですよね。
そんな存在のくまちゃんに見守られ、子どもたちも、ボランティアさんも素敵な時間を過ごしているんだと思います。
NPO法人球美の里では、島内外関わらず、保養に携わることが出来るボランティアさんを探しています。
島内の方であれば、1日や半日からでも大丈夫とのこと。
興味がある方は、球美の里HPより覗いてみてください。
それでは素敵なKumejimaLifeを♪
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