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論理的思考が重視されていた左脳型の男性社会から、創造的思考が重視される右脳型の女性社会へ!
安倍内閣が『すべての女性が輝く社会づくり』を目指しているように、これからは女性の時代がやってくると言われています。
沖縄久米島にも、バイタリティあふれるパワフルで素敵な女性がたくさん。
そんな女性たちの過去・現在のストーリーを聞きながら、これからどう生きていくのか、どう島にかかわっていくのか。
そんな物語を紡いで行けたらいいなと思っています。
第24回は、島袋ルミ子さんから紹介いただいた、山里いずみさんです。
山里いずみさんプロフィール

いずみさんは島出身ですよね?
久米島には高校まで?
中学まで。
高校から本島に出てそのまま大学進学までして。
最初は小学校の教員を目指してたんだけど。
自分の気持ちが向かなくて。
試験を受けたんですけど、落ちて留年。
一度、臨時の先生として働いたこともあったんだけど、子どもたちとのコミュニケーションがうまくいかず、これ私無理かもって思って。
自分が何をしたいのかもよく分からなくなっちゃって。
やってみないと分からないことって多いですけどね。
大学いったら自分の人生何とかなるんじゃないかなって簡単に思ってたんだけど。
やってみたらおや違うと・・・

このままじゃいかん
そこからどう方向転換したんですか?
いろいろバイトしながら過ごしてたんだけど、「このままじゃいかん、大学まで出してもらってるのに」と思い・・・
パソコンも出来なかったからパソコン教室で勉強して。
とりあえず派遣登録をして、沖縄セルラーauで7,8年働いてた。
ただ派遣として働きながら、離島フェアで父の商品を販売する手伝いはしていたんですね。
そのときに、一人の女性が準備中に声かけてきたんですよ。
何かと思ったら、国の事業の人材育成プログラムに参加する若い人を探していたみたいで。
「少しずつ、自分のやりたいことも見えるかもしれないよ」って、誘われた。

その事業で伊江島に行ったり、海士町にも行かせてもらって、いろんな事業をみた。
自分の考えを書き出したりするワークがものすごい苦手だったんだけど、最終的には自分の目標をみんなの前で発表した。
「父の会社の商品をネット販売で売っていきたい」って。
島に戻るって気持ちは実は全くなかったんだけど、笑
苦手ながらも参加し続けた動機って何ですか?
一度参加したら最後まで参加しないといけないと思っていたのと、結局は恩。
こんな普通の、一般の派遣社員。
自分には何もないんだろうな、この人生。
そんな風に思ってた。
そんな中、自分に声をかけてくれた人がいて、
自分の中に何かあるかもしれないと思えるきっかけを見つけてくれたように感じていた。

今が変わるとき
それから父に「会社を手伝ってくれるか」って頼まれてauを辞めて久米島に。
そしたらちょうどラー油ブームが来て、今まで売れなかったラー油が売れていった。
従業員が1~2人から十何名かになってひたすら製造。
でも、ブームが終わり売り上げは急落。
従業員は一気に4人まで減った。
在庫もいっぱいあるし、賞味期限が来たら廃棄するしかなく・・・
そこから、自分たちで味噌を作ることにした。
もともとおばあたち二人が味噌作る人だったから。
でも島では知名度がないから売れない。
だけど、離島フェアに持っていくと、「久米島の味噌」っていうだけで興味持ってくれて、島外では売れるように。
今まで味噌づくりをしてくれてた人たちに感謝しないといけない思った。
3年前からみそクッキーの島福さんが取ってくれるようになって、今、うちの味噌のほとんどはみそクッキーと本島で売る用、あとは自分たちで使う用です。
でもうちの中心は、香辛料ですね。

最近すごい伸びたのが「粗びきの島唐辛子」
もともと島内に作ってた事業者はいたんだけど、足らなくなってしまったみたいで。
空港の売店の方から「粗びきは絶対売れるから作ってくれない? 」と頼まれ、作ってみたらすごい伸びちゃって。
島外のしゃぶしゃぶの店の方が気に入ってくれてから、その方が他の飲食店にも卸してくれるようになった。
だから今すごい広がってるんですよ。
広がってるんですけど・・・去年の大型台風で島唐辛子は一気にやられてしまって・・・
在庫がなくて、今出せてないんですよ。
なかなか順調にいかないんですね。
これは転換期なんだと思う。
自分たちがやり方を変えないといけない。
最初来たときは何にも分からなかった。
食品についてだって知らない、そんなとこから始めて、そこからちょっとずつ分かって来て。
でも今のままじゃダメなんだって。

5年後こんな風にしてたいとかってあります?
もっと働く意欲が出てきて、いいものがちゃんとした値段で売れて、会社の中にも活気があって。
みんながこれ自分たちが作ってるんだよって堂々と言える環境になってたらいいな。
島としては、農家さんもそうだけど、みんなが自信をもって出ていける島になったらいいなって思う。
私も東京に行っても自信がなくて・・・
「久米島?あっ分かんないですよね?」って、笑

他人に期待せず、自らの力で
島に必要なものって何ですかね?
必要なものを各自がどれだけ求めていけるか、かな。
勝手に外から入ってくるものじゃないから。
あんまり島の将来とか考えるタイプではなくて、政治もあまり興味ない。
でも役場に責任を押し付けるのも違うよねって。
海士町に行ったときに感じたことがあった。
あっちは町長が飛びぬけてるじゃないですか?
で、あの方についている役場の人材もものすごい人が多くて。
能力が高いからいろんな事業を取ってくる。
そこに町民が一緒になってやる。
島のことで当てはめて考えてみたら、そんなに引っ張っていく人って滅多にいない。
だから自分たちの希望を役場の人に伝えて一緒になってやらないと何も進まないっていうのは思った。
いつかやってくれるんだろうなとずっとどっかで思ってる。
その考え方がダメ。
どうしても、人に期待し続けてるんだよ。
ちゃんと自分で考えて実行していかないとだめになっちゃうんだろうなと思う。
私もそうだけど。
あ~・・・今自分にもずしっと来ましたわ、笑
やっぱりね、頼り切っちゃうとだめだわ。
育ってきた環境にもあるんだろうね。
周りがけっこう何でもしてくれたから。
自分も末っ子長男の甘ちゃんだからな~。
頑張ります・・・
編集後記
何かを目指して頑張っているとき、いつか誰かが何とかしてくれるだろう、助けてくれるだろう。
そんな風に思ってしまうことが自分もよくあります。
でも、頼りになるのは結局自分しかいない。
「人に期待し続けてるんだよ。」
その孤独に耐えた人がきっと何かを成し遂げられるんだと思います。
いずみさん、ありがとうございました!
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