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こんにちは!
食事にかける時間がもったいないから必要な栄養素が一気に取れるカプセルが欲しい今日この頃、島暮らしのおかもってぃです。
久米島美女図鑑29回目は、吉永円さん。
2017年にオープンした島の洋菓子店、Cercle(セルクル)を開いています。

ワッフルやクッキーなど、手作りの洋菓子がとってもおいしくて、商品がすべて売り切れてしまうこともよくあるという大人気のお店。
いろんな方から「円さんの話を聞いてみたい!」と言われていたのですが、念願かなってようやくインタビューを行うことが出来ました!
吉永円(よしなが・まどか)さんプロフィール


お菓子作りはどこで学ばれたんですか?

専門学校ですね。
でも高校のときから、ケーキ屋さんで作るほうのバイトをしてました。

どういう経緯で久米島に?

専門学校を出た後は、大阪で就職したのですが、その職場にいるのが辛くなってしまって・・・
そんなときに高校生時代のバイトの先輩を思い出したんです。
その人は、ヨーロッパから帰ってきた方だったんですが、「沖縄の離島の民宿でバイトをして海に入りながら、調理のバイトをしてたよ~。絶対に生きているうちにダビングしたほうがいいよ!」そんなことを言ってたんですね。
そのことを思い出して、「そうだ!沖縄に行こう!私ここにいたら変になっちゃう」って思って辞めました。

久米島を選んだそのワケ

そこから、まずイタリアンの店でバイトをして資金を貯めました。
それから免許を取ってバイクも買って、「よし!準備が揃った!さぁ沖縄のどこに行こう?」と。

バイクは必要だったんですね、笑

そうバイクは絶対必要だったんです、笑
父の影響でモトクロスバイクが昔から好きだったんです。
奈良には海がないですし、都会で乗ってもあんま面白くないので・・・
そこで、地図帳持ってきてバイクに手ごろな島を探したんですね。
石垣は大きすぎるし、沖縄本島は都会過ぎるし・・・
そして、久米島を見つけたんです。
「手ごろな大きさで走れそう!1時間弱のツーリングを毎日するには楽しそう!」ってなって。

そこなんですね、笑

そしたら、たまたま「ダイビングで海に潜りながら台所仕事しませんか?」っていう求人が出ていて、それから2、3週間に引っ越してきました。
久米島にはモトクロスっぽいコースが自然にたくさんあって楽しかったですね。
登武那覇公園に階段あるじゃないですか。
あそこの脇の坂道をバイクで登ったりとか。

あそこってバイクで登っていいんですか!?
※注:円さんが上ったという登武那覇園地の階段


だめだと思います、今考えたら、笑
たぶん変な人でしたね。

間違いないですね、笑

普通のバイクじゃなくて山道を行けるゴツゴツしたバイクが好きで・・・
バイクの話ばっかり、笑

人間は自分が1番価値を置いているものの話をたくさんするもんですよ、笑

そうなんですね、笑
たしかに、昔持ってきたバイクはもうボロボロなんですけど捨てられないですね。
譲ってほしいとも言われたんですけど。
「いや、あれは私のもの。こっちに来た唯一の友達なんです!」みたいに思ってるから手放せなくて。
今はまだまだやることがあるから我慢してますけど、また乗りたいですね。

『母』になること

お菓子を作っていて1番感動したエピソードってありますか。

自分の子供に作れた時かなあ。
私は『お母さん』になりたかったんですよ。
自分の子供たちに食べさせたくて、それで頑張ってたんです。
それが叶ったときは感動しましたね。

なんでそんなにお母さんに憧れたんですか?

なんでですかね?
自分のお母さんが大好きだったっていうのもありますし、小さい頃から子供好きだったし。

どんなお母さんだったんですか。

何かを頼んだらそれ以上のことをやってくれるというか。
甘やかしていたわけではないんですけど、何かを頼んだときに絶対断らなくて、すごく頼りに出来る。
それから「やりたいっていうのはとことんやったらいいやん、でも全部自分の責任やで」ってすごい言われてました。
自分で決めたのは何をやってもいいって。
だから、バイクに乗ってても反対は何もされなかった。
大学行かないって言うのも自分の道、でも責任があるよって。


円さんの理想とする『お母さん』とは?

そうですね~。自分のお母さんは商売してたからお家にいなかったので、
まずお家にいるお母さんになりたかった。
なので家とほぼ同じ土地でお店をすることに決めて。
子どもが帰ってきたときに「おかえり」って言えるのはお母さんの理想の1つだなって思ったんです。
でも帰ってきてお帰りの前に「宿題早くやって!」って言っちゃったり。
だめですねそこは。直さないと、これを機会に。

お子さんになって欲しい姿ってあります?

まず自分が楽しいなって思うことを見つけて、自由に羽ばたいていってほしい。
自分もそうやってきて、今ものすごく幸せなので。
でもその前に基礎がないと中身が薄くて自由になってしまってもよくないから。
ちゃんと責任ある行動を取れるように。
私自身、高校の先生によく、「自由の裏には責任がある」って言われたんですよ。
そのときは「えー責任ってそんな、笑」って思ってたけど、今はほんとにそうやと思います。

島の人に愛されるお店に

お店を始めたきっかけは?

自分で考えたわけではなくて、周りの勧めで始めることになったんですよ。
自分の子供にさえ作れたら私は満足してたから。
むしろ私はいやいやだったんですよ!本当に!
いやー怖い!って。
「商売」ってなんか怖いじゃないですか。
そんな時に、以前開いていたお店をどうにか利用してくれないかって言う話が回ってきたんです。
それを聞いた旦那さんが「やるって言うよ」って。
私は「嫌や!」って言ったんですよ。
まだ4番目が3ヶ月くらいだったし、保育園に行かせるっていうのがすごい抵抗があったんです。
「自分で子供をみたい!お母さんになりたい!」って思ってたから。
「このチャンス逃したらいつやるの?もう店をやるチャンスないよ」とも言われて、それでも「いやいやいやいや!」って言ってたのに、旦那が「やるって返事してくるよ」って、笑

拒否権なかったんですね、笑

まあ嫌々始めたお店だけど今は本当にやって良かったと思います。
沢山の方に支えてもらってるおかげで、毎日本当に楽しいですね。


これからお店でやっていきたいことは?

自分がこれやりたいって言うよりももっとお客さんの意見を取り入れていきたい。
本当にお客さんが相談相手。
お客さんにもっと教えてもらってやっていきたいなって思います。
まず久米島の方に愛されたいお店にしたいから。
ここを作るときも業者に頼まないで親戚みんなにやってもらったんです。
現役で働いている方は忙しいから、60を超えた方々を酷使して・・・笑
その恩も返したいですし。
だからあんまり久米島っぽいものを置いてないんです。
日常とはちょっと違う空間を作りたくて。
例えばスポンジを変えたりするだけでお掃除も気分が変わるんですよ。
那覇に行ったりできる人はいいけど、そうじゃない人が心をリフレッシュさせられるというか、そういう場所になったらいいなって思います。


今後の計画とかって出来る人ですか?

何年後にこうとかはあんまり計画ができてないかなぁ
何があるか分からないから、ゆだねたほうがいい時もあるし。

それもいいですよね。
フラフラ漂う中で着々と何かを身につけることができていれば。

そうそうちょっとずつ階段を上って行けたらいいですよね。

でも階段はバイクで登らない方がいいですよ。

はい、階段はやめます、笑
編集後記
『何にやりがいを見出すか?』は人ぞれぞれ。
お菓子作りが好き、という人はたくさんいますが、みんなきっと異なる目的で作っているんだと思います。
子どもを喜ばせるため、とか、理想の味を作ることが楽しい、とか。
その辺りの理由がきっと、自分の軸と言われるものになっていきますし、自分に強さと選択肢を与えてくれるものなんだと思います。
自分が好きなことをやり、今を楽しく生きている円さん。
そんな円さんの生き方から、学ぶことがたくさんあったインタビューでした。
円さん、ありがとうございました!
大人気のお菓子店、セルクルに行きたい方は、以下の記事をチェックしてみてください^ ^
それでは素敵なKumejimaLifeを♪
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